純さん 主催

富士登山 & 温泉ツアー

2001年8月4日(土)〜6日(月)

吉田口

はじめての吉田口。感激も筋肉痛も2倍(w。

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11:22 1740m付近に急な登り坂がありました。
   坂を登り切ったところで、右方向に進みます。
   写真は、純さんが坂を登りきって右へ進むところですが、
   雲がたくさん流れていて、写真が白っぽくなってしまい、
   ちょっと、わかりにくいかもしれません。

少し歩くと、左側に車両止めの杭が見えます。
階段を登って、車両止めの杭の先を進みます。
この階段、一段当たりの高さがとても高くって、
とても登りにくかったです。
それに、この柵の間隔がとても狭くって、リュックザックが
引っかかり、通るのがめんどうでした。

11:28 再び車両止めがありました。
   階段を登って車両止めをくぐると、
   そこは「細尾野林道」。
     ここで、林道を歩いてきた方とお会いしました。

車両止めのすぐ先に、再び車両止めと看板。
少し手前に
「女人天上」を説明する看板がありました。
女性が、頂上まで登れるようになったのは、1872(明治5)年。
それまでは、二合目の「富士御室浅間神社」までしか許可されて
いませんでした。
でも、女性の信者を内密に「逢拝所(ようはいじょ)」まで
登り奉拝させていたため「女人禅定」がなまって俗に
「女人天上」となったということだそうです。


「逢拝所」ですが、二合目の「富士御室浅間神社」では、
御来光がみえないために、神社から1km東南のところに
設けられた御来光の為の場所らしいです。
石碑が立っているとのことですが、今回はその場所には
行けませんでした。
昔は、男性であっても、登山シーズン以外は、この「逢拝所」
までしか登れなかったそうです。しかも100日間の修行が必須
だったとか(汗。どんな修行だったのでしょうね?
お経読みとかでしょうか?

車両止めを通って先に進むと
このような石畳のような場所がありました。

すべって転ばないようにする為のものと思われます。
それでも、100%すべらないわけではありませんから注意は必要です。

11:33 1780m付近。はるか先を歩く方がお二人。
速いペースで追いつけない(汗。

この1分後には、下ってくる外人の方にお会いしました。



11:40 「三軒茶屋(跡)」(1840m)に到着。
ここも廃屋です...。
「三軒」ということは、昔は三軒の御茶屋さんがあったのでしょうか?
建物はニ軒しか残っていませんでした。
手前の建物の名前はわかりませんでしたが、
もうひとつの建物には「見晴し茶屋」の看板が残っていました。

   【純さん撮影】

11:42 記念撮影


 【純さんから頂戴した写真を 追加掲載 2001.8.25】

ベンチに腰掛けて休憩。
持参の水(500ml)1本目がここで終了。

11:49
3人の若者が、休まずに速いペースで下山していく。元気だ(汗。


「見晴し茶屋」跡。
「三合目 森永ミルクキャラメル」の看板がありました。

いつ頃迄営業していたのでしょうか?

                                            (2001年8月12日)


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