車両の推移【4】(昭和35年以降)
他のページへジャンプ
大型化  1960年(昭和35年)〜1971年(昭和46年)

高度成長にともない、乗客数も増え、輸送力の強化を図るため車輌の面でも800型の導入等が行われました。しかし、高度成長からは、同時にマイカーブームも誕生し、街の中に自家用車があふれ、軌道を走る路面電車の受難時代を迎えます。秋田市(昭和41年)、神戸市(昭和46年)、旭川市(昭和48年)、仙台市(昭和51年)等、全国各地の路面電車が廃止されていく中で、函館の路面電車が存続したのは幸いでした。排気ガスや交通渋滞等の問題点を抱えていながら、それでもなお自動車を優先しようとする意見の中にあって、路面電車を残すことに御尽力くださった方々に感謝をしなければなりません。

300型単車(1936年・昭和11年導入)に代わる車輌の導入が検討されましたが、マイカーブームによる売上減少の影響で、資金的に新車が難しいと判断され、東京都電7000型の中古車を譲り受けることに決まったようです。

経営の合理化の一環として、昭和42年12月から昭和45年にかけてワンマンカー改造が実施されています。

昭和39年に出版された「市電50年のあゆみ」の中の「市営後の電車車両の推移」は、昭和38年10月末現在のもので、残念ながらそれ以降の認可や廃止届の詳細な日付はわかりません。昭和39年以降の増車や減車に関しては、わかる分のみ日付を記載しておりますがご了承ください。

               
西暦年 和暦年 増減・改番等 在籍車両番号 台数 備考
1960 昭和35 【増車】6両
5月25日付
715〜720

301〜315(函館どっく製)15両
401〜406(京王車)..6両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜714(新潟鉄工所)4両
715〜720(新潟鉄工所)6両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


80 715以降は車体側面に「行先方向幕」を備えた車輌である。ただし、ワンマンカー対応や広告車対応の関係で現在では行先表示には使用していない。側面での行先表示は別途ドア付近に設けた「行先表示板」で行っている。

35年度の鉄道統計は71+9両で定員は5360人。
1961 昭和36 【増車】4両
7月10日認可
721〜724

【減車】4両
8月15日届出
401,402,403,
404

301〜315(函館どっく製)15両
405〜406(京王車)..2両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜720(新潟鉄工所)10両
721〜724(新潟鉄工所)4両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


80 710型14両が揃った。一方で、1940年(昭和15年)京王電気軌道から購入した400型ボギー中古車が4両廃車となった。

36年度の鉄道統計は35年度と変わらない。
1962 昭和37 【増車】5両
8月1日認可
801〜805

【減車】2両
10月15日届出
405,406

301〜315(函館どっく製)15両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜805(新潟鉄工所)5両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


83 800型の導入が始まった。一方で、昨年同様400型ボギー中古車が2両廃車となった。

400型は全て廃車となったが、405号は昭和45年迄、駒場車庫で屋外展示されていた。8年間だけだが取り壊されず延命された。

37年度の鉄道統計は74+9両で定員は5750人。38年3月1日認可の806〜809の4両は37年度の統計に含まれていない。
1963 昭和38 【増車】4両
3月1日認可
806〜809

301〜315(函館どっく製)15両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜805(新潟鉄工所)5両
806〜809(新潟鉄工所)4両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


87 引き続き800型が導入された。

38年度の鉄道統計は77+9両で定員は6030人。39年1月10日届出の518の廃車が反映されている為86両となっている。

518の廃車は、6月11日に発生した524の暴走事故が原因。524に衝突された518の車体が大破した為。
1964 昭和39 【増車】2両
706,810

【減車】1両
1月10日届出
518

301〜315(函館どっく製)15両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜809(新潟鉄工所)9両
810(新潟鉄工所)1両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


88 706と810が導入された。706は車番こそ700型であるが、701〜705とは全く異なる車輌である。518の台車や電動機系統を流用して作られた車輌で、見方をかえれば500型の車体更新ともいえる。ただし車体は710型や800型と同じ、台車は500型と同じであり、後にも先にもこの1両だけという特殊な車輌であった。

39年度の鉄道統計は79+9両で定員は6210人。40年度も同様。
1966 昭和41 【増車】2両
811,812

301〜315(函館どっく製)15両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜810(新潟鉄工所)10両
811,812(新潟鉄工所)2両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


90 4月に811と812が就役し800型12両が揃った。

801〜810は、前扉が1枚引戸であるが、この年に就役した811と812は710型と同様2枚引戸である。

41年度の鉄道統計は81+9両で定員は6390人。
1970 昭和45 【増車】10両
1001〜1010

【減車】7両
5月20日届出
302,303,308,
309,310,312,
314

300型について
【一部推定】
305→302
306→303
307→304
304→305
311→306
313→307
315→308

301→301
302→廃車解体
303→廃車解体
304→304
305→305
306→306
307→307
308→廃車解体
309→廃車解体
310→廃車解体
311→302
312→廃車 公園展示
313→303
314→廃車解体
315→308


301〜308(函館どっく製)8両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜812(新潟鉄工所)12両
1001〜1010(都電)10両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両


93 在籍車輌数が一番多かった年。

2月に東京都電7000型10両が到着し、5月には300型が減車となった。

300型の減車7両のうち6両は11月に梁川車庫で解体された。312は交通公園に展示されるも、後に解体され現存しない。

都電時代の車番との対比は次のとおり。
7039→1001
7042→1002
7040→1003
7036→1004
7041→1005
7033→1006
7034→1007
7037→1008
7032→1009
7038→1010

45年度の鉄道統計は84+9両で定員は6958人。
1971 昭和46 【減車】9両
8月20日届出
301〜308
1010
         
【減車】3両
花1(旧104)
花2(旧105)
花3(旧106)

【増車】3両
花1(旧302)
花2(旧303)
花3(旧304)
花1・新302(旧305)
花2・新303(旧306)
花3・新304(旧307)

501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜812(新潟鉄工所)12両
1001〜1009(都電)9両


雪1(九州車)..1両    
雪2(成田車)..1両    
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧300型)..3両


84 4月11日に300型のさよなら運転が実施された。
303は北海道開拓記念館へ寄贈される際、旧番の313に戻されたと考えられる。

新302(旧305),新303(旧306),新304(旧307)の3両は港祭用の装飾車として残された。その代わりに旧104〜106の3両は廃車となった。装飾車の減車の届出日、増車の認可日は不明であるが、この年の8月2日より旧300型の装飾車が使用されていた。

301は車籍を失うも、すぐには解体されず、除籍後もしばらくは駒場車庫内に置かれていた。

車籍上、客車としての300型は全て消滅する。装飾車としての300型として、302〜304が新たに登録される。


1010は電動発電機に問題があり、早くも廃車となった。

46年度の鉄道統計は75+9両で定員は6414人。

■参考文献

  ●『市電50年のあゆみ』−函館市交通局

  ●『私鉄統計年報』(昭和35年〜46年)−運輸省鉄道局

  ●『REPORT 函館市電近況』(佐々木和夫氏)
   −「鉄道ファン」誌No.118(1971年2月)

  ●『REPORT 函館市電300形単車姿を消す』(千歳 篤氏)
   −「鉄道ファン」誌No.123(1971年7月)

  ●『REPORT 函館市電その後の300形』(佐々木和夫氏)
   −「鉄道ファン」誌No.127(1971年11月)


前のページへ戻る【3】へ    次ページへ進む【5】へ

(2002年2月25日/2008年11月2日一部修正)




QLOOKアクセス解析
トップページ
乗車料金と所要時間
函館市電の歴史
昔の車両のご紹介
車両のご紹介
営業路線のご案内
資料・情報館
写真館
リンクのコーナー
写真の著作権
コンテンツ一覧