西暦年 |
和暦年 |
増減・改番等 |
在籍車両番号 |
台数 |
備考 |
1960 |
昭和35 |
【増車】6両
5月25日付
715〜720
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301〜315(函館どっく製)15両
401〜406(京王車)..6両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜714(新潟鉄工所)4両
715〜720(新潟鉄工所)6両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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80 |
715以降は車体側面に「行先方向幕」を備えた車輌である。ただし、ワンマンカー対応や広告車対応の関係で現在では行先表示には使用していない。側面での行先表示は別途ドア付近に設けた「行先表示板」で行っている。
35年度の鉄道統計は71+9両で定員は5360人。 |
1961 |
昭和36 |
【増車】4両
7月10日認可
721〜724
【減車】4両
8月15日届出
401,402,403,
404 |
301〜315(函館どっく製)15両
405〜406(京王車)..2両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜720(新潟鉄工所)10両
721〜724(新潟鉄工所)4両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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80 |
710型14両が揃った。一方で、1940年(昭和15年)京王電気軌道から購入した400型ボギー中古車が4両廃車となった。
36年度の鉄道統計は35年度と変わらない。 |
1962 |
昭和37 |
【増車】5両
8月1日認可
801〜805
【減車】2両
10月15日届出
405,406 |
301〜315(函館どっく製)15両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜805(新潟鉄工所)5両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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83 |
800型の導入が始まった。一方で、昨年同様400型ボギー中古車が2両廃車となった。
400型は全て廃車となったが、405号は昭和45年迄、駒場車庫で屋外展示されていた。8年間だけだが取り壊されず延命された。
37年度の鉄道統計は74+9両で定員は5750人。38年3月1日認可の806〜809の4両は37年度の統計に含まれていない。 |
1963 |
昭和38 |
【増車】4両
3月1日認可
806〜809
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301〜315(函館どっく製)15両
501〜530(日本車輌製)30両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜805(新潟鉄工所)5両
806〜809(新潟鉄工所)4両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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87 |
引き続き800型が導入された。
38年度の鉄道統計は77+9両で定員は6030人。39年1月10日届出の518の廃車が反映されている為86両となっている。
518の廃車は、6月11日に発生した524の暴走事故が原因。524に衝突された518の車体が大破した為。 |
1964 |
昭和39 |
【増車】2両
706,810
【減車】1両
1月10日届出
518
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301〜315(函館どっく製)15両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜809(新潟鉄工所)9両
810(新潟鉄工所)1両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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88 |
706と810が導入された。706は車番こそ700型であるが、701〜705とは全く異なる車輌である。518の台車や電動機系統を流用して作られた車輌で、見方をかえれば500型の車体更新ともいえる。ただし車体は710型や800型と同じ、台車は500型と同じであり、後にも先にもこの1両だけという特殊な車輌であった。
39年度の鉄道統計は79+9両で定員は6210人。40年度も同様。 |
1966 |
昭和41 |
【増車】2両
811,812
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301〜315(函館どっく製)15両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜810(新潟鉄工所)10両
811,812(新潟鉄工所)2両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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90 |
4月に811と812が就役し800型12両が揃った。
801〜810は、前扉が1枚引戸であるが、この年に就役した811と812は710型と同様2枚引戸である。
41年度の鉄道統計は81+9両で定員は6390人。 |
1970 |
昭和45 |
【増車】10両
1001〜1010
【減車】7両
5月20日届出
302,303,308,
309,310,312,
314
300型について
【一部推定】
305→302
306→303
307→304
304→305
311→306
313→307
315→308
301→301
302→廃車解体
303→廃車解体
304→304
305→305
306→306
307→307
308→廃車解体
309→廃車解体
310→廃車解体
311→302
312→廃車 公園展示
313→303
314→廃車解体
315→308
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301〜308(函館どっく製)8両
501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜812(新潟鉄工所)12両
1001〜1010(都電)10両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧100型)..3両
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93 |
在籍車輌数が一番多かった年。
2月に東京都電7000型10両が到着し、5月には300型が減車となった。
300型の減車7両のうち6両は11月に梁川車庫で解体された。312は交通公園に展示されるも、後に解体され現存しない。
都電時代の車番との対比は次のとおり。
7039→1001
7042→1002
7040→1003
7036→1004
7041→1005
7033→1006
7034→1007
7037→1008
7032→1009
7038→1010
45年度の鉄道統計は84+9両で定員は6958人。 |
1971 |
昭和46 |
【減車】9両
8月20日届出
301〜308
1010
【減車】3両
花1(旧104)
花2(旧105)
花3(旧106)
【増車】3両
花1(旧302)
花2(旧303)
花3(旧304)
花1・新302(旧305)
花2・新303(旧306)
花3・新304(旧307)
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501〜517,
519〜530(日本車輌製)29両
601〜604(新潟鉄工所)4両
605(汽車製造)..1両
701〜705(新潟鉄工所)5両
706(新潟鉄工所)1両
711〜724(新潟鉄工所)14両
801〜812(新潟鉄工所)12両
1001〜1009(都電)9両
雪1(九州車)..1両
雪2(成田車)..1両
雪3〜6(ヨヘロ車)..4両
花1〜3(旧300型)..3両
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84 |
4月11日に300型のさよなら運転が実施された。
303は北海道開拓記念館へ寄贈される際、旧番の313に戻されたと考えられる。
新302(旧305),新303(旧306),新304(旧307)の3両は港祭用の装飾車として残された。その代わりに旧104〜106の3両は廃車となった。装飾車の減車の届出日、増車の認可日は不明であるが、この年の8月2日より旧300型の装飾車が使用されていた。
301は車籍を失うも、すぐには解体されず、除籍後もしばらくは駒場車庫内に置かれていた。
車籍上、客車としての300型は全て消滅する。装飾車としての300型として、302〜304が新たに登録される。
1010は電動発電機に問題があり、早くも廃車となった。
46年度の鉄道統計は75+9両で定員は6414人。 |