車両の推移【1】(創業〜昭和20年迄)
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  統計編  和久田様からの貴重な情報

和久田康雄様が調査してくださった、鉄道院、鉄道省(後に 運輸通信省→運輸省→現 国土交通省)の統計値からみた車両の推移です。
鉄道院や鉄道省の認可は、申請してから1年以上かかる場合もあり、実際に車両が配備された年とずれることもあったようです。和久田様は、鉄道省の車両認可件名簿の他、鉄道統計などもあわせて詳細に調査してくださいました。

下記の表は、和久田様より頂戴した資料を元に作成いたしました。備考については、統計に書かれている事以外の事も書き添えています。また除雪車は、統計上は含まれていませんが、便宜上台数に加えました。
なお、函館水電株式会社は、11月決算でしたので、下記の表で、例えば1926事業年度は暦年に換算すると、1925年12月〜1926年11月になります。 
                                                           
事業
年度
和暦年 増減
台数
増減車 在籍車両番号 台数 備考
1913 大正2 +25 1〜25
1〜25 25 梅鉢鉄工所の新車25両。統計上は、他に鉄道馬車が40両あったため、合計65両となっている。
1914〜17 大正4〜6 +5 26〜30
1〜25
26〜30
30 九州の中古単車
1918〜19 大正7〜8 +10 31〜35
36〜40

1〜25
26〜30
31〜35
36〜40
40 東京市電より5両、成田電気軌道株式会社より5両購入。
1920〜21 大正9〜10 +6

有蓋+1
無蓋+2
41〜46
1〜25
26〜30
31〜35
36〜40
41〜46
有蓋貨1
無蓋貨2
46 梅鉢鉄工所より5両購入。この他有蓋貨車1両、無蓋貨車1両が増えており、貨車を含めると49両。
1922〜24 大正11〜13 +6 47〜52
1〜25
26〜30
31〜35
36〜40
41〜46
有蓋貨1
無蓋貨2
47〜52
52 梅鉢工場より6両のボギー車を購入。
1925 大正14 +7 53〜59
1〜25
26〜30
31〜35
36〜40
41〜46
47〜52
有蓋貨1
無蓋貨2
53〜59
59 東京市電より7両の中古車を購入。
東京市電気局で、1925年4月29日付で廃車の認可を受けた7両。
1926 大正15 -29
+30

無蓋+1
廃止届22両
車番不詳

3〜19
29,30
36〜38

50〜53
109〜112
有蓋貨1
無蓋貨3

113〜130
132,133

101〜107

108,131

54
60 車両認可関係の件名簿には22両だけの記載で、車番は不明。廃止届とは別に7両を廃止した模様。廃車の一部は後に復活した。残存車の内、41〜46の内4両が109〜112へ改番、47〜52のボギー車の内4両が50〜53へ改番された。

●113〜130,132,133
 1927年6月18日認可
この20両は、東京市電気局で、1925年6月26日付で廃車の認可を受けた53両の中から9両、1925年10月9日付で廃車届をした33両の中から11両が選ばれたもの。

●101〜107
 1928年1月16日認可
●108と131
 1932年10月28日増加届
●54
 1929年1月19日認可

108と131は、1926年若しくは1927年に存在していたが、何らかの事由で届けが遅れた模様。

新川車庫火災で焼け残った車両番号は、1927年度末の在籍車両から逆に推定したもの。火災後、整理・改定されている可能性もあり、このとおりの車番であったかどうかは、不確実。

1927〜29 昭和2〜4 +1 55
3〜19
29,30
36〜38
50〜53
54,55
101〜107
108
109〜112
113〜133
有蓋貨1
無蓋貨3
61 1929年1月19日認可。
ボギー車が元の6両に戻った(50〜55)。
1930〜32 昭和5〜7 +7 134〜140
3〜19
29,30
36〜38
50〜53
54,55
101〜107
108
109〜112
113〜133
134〜140
有蓋貨1
無蓋貨3
68 1930年度に3両、1931〜1932年度に4両増加。
函館水電に対する認可は1932年4月6日。
1933 昭和8 無蓋
-2
無蓋貨2減
3〜19
29,30
36〜38
50〜53
54,55
101〜107
108
109〜112
113〜133
134〜140
有蓋貨1
無蓋貨1
68 無蓋貨車2両が減った理由は不明。この時点で貨車も含めると70両。
1934 昭和9 -52
+35
●廃車
4〜6,8,10,11,
14,16〜19,
30,36,38,
101〜103,
106〜117,
119,121,122,
124〜127,
129〜131,
133〜139,
50〜55
(単車46、ボギー6 計52両)

●増車
201〜225,
236〜245
3,7,9,
12,13,15
29
37

104,105

118,120,123,128,
132,140

201〜225,
236〜245
           
51 函館大火で52両を焼失。貨車2両も含めると54両。残った車両は単車16両。帝国電力の廃車届は1934年6月15日。

東京市電から新1型ヨヘロ車を購入。201〜215及び216〜225は、1935年3月7日の認可、236〜240は1935年7月12日の届出、241〜245は1935年8月15日の届出
1935 昭和10 +10 226〜235
3,7,9,
12,13,15
29
37

104,105

118,120,123,128,
132,140

201〜225,
226〜235,
236〜245            
61
226〜235について1937年1月7日の届出。226〜235の車番が236〜245よりも遅れた理由はわからない。
1936 昭和11 +15

除雪車
改造+-2
301〜315
雪1,雪2
3,7,9,
12,13,15

104,105

118,120,123,128,
132,140

201〜245
301〜315

雪1,2
76 29号が雪1号、37号が雪2号へ改造された。統計上では除雪車は客車台数に含めないが、この表では便宜上含めて掲載している。帝国電力の29と37の廃車届(除雪車改造の為の廃車届)は1937年4月22日。
1937〜39 昭和12〜14 除雪車
改造+-2
雪3,雪4
3,7,9,
12,13,15

104,105

118,120,123,128,
132,140

201〜243
301〜315

雪1,2,3,4
76 244号が雪3号、245号が雪4号へ改造された。帝国電力の244と245の廃車届(除雪車改造の為の廃車届)は1937年4月24日
1940 昭和15 除雪車
改造+-2
雪5,雪6
3,7,9,
12,13,15

104,105

118,120,123,128,
132,140

201〜241
301〜315

雪1,2,3,4,5,6
76 242号が雪5号、243号が雪6号へ改造された。大日本電力の廃車届(除雪車改造の為の廃車届)は1940年1月19日。
1941 昭和16
11〜16

101,102
103〜108
201〜241
301〜315

雪1,2,3,4,5,6
76 10型と100型について、車両の改番が行われている。改番前後の車両番号は次のとおり
3→11,7→14,9→16
12,13,15は変わらず。
104→101,105→102
118→103,120→104
123→105,128→106
132→107,140→108
1942〜43 昭和17〜18 +6 401〜406
11〜16

101,102
103〜108
201〜241
301〜315
401〜406

雪1,2,3,4,5,6
82
京王電気軌道より23型を6両購入。大日本電力への認可は1942年10月28日(401〜403に関する申請は1940年8月26日)。

■参考文献
  ●『日本の路面電車−震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.329〜336(1977年1月〜7月)
      の連載記事」

  ●和久田様より別途ご提供いただいた情報

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(2002年1月20日)


 

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