昔の車両のご紹介
  
昔の車両

10型、旧500型という名称は、 『走りました80年』(函館市交通局:1993年8月)の記載に合わせた表記です。 昔、函館の路面電車を運営していた「函館水電」の大正15年(1926年)当時(車庫火災前)の車両構成は次のとおりでした。

●客車
 1〜25(梅鉢製)
 26〜30(九州車)
 31〜35(東京ヨト車)
 36〜40(成田車)
 41〜46(梅鉢製)
 47〜52(梅鉢製ボギー車)
 53〜59(東京ヨヘシ車)
●貨車(車番は不明)
 有蓋貨車1両
 無蓋貨車3両

このように、客車の車番は連番で管理されており、形式を意識した車番ではありませんでした。これを、形式別に分けるとすれば次のとおりです。

1型(梅鉢製・新車)
26型(九州水力電気・博軌電車・中古車)
31型(東京市電ヨト型・中古車)
36型(成田電気軌道・中古車)
41型(梅鉢製・新車)
47型(梅鉢製ボギー車・新車)
53型(東京市電ヨヘシ型・中古車)

ここでは大別して10型(単車)、50型(ボギー車)という分け方をしています。

また、1999年当時、函館市交通局から頂戴した資料が「形」ではなく「型」の漢字を使用していたため、当HPでは原則として「型」の表記で記載しています。適宜、必要に応じて「形」と読み替えていただければ幸いです。


形式別に昔の車両をご紹介します。
正方形の写真をクリックすると、
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(2008年10月14日追記)

10型   1〜46 53〜59

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【1〜5号】...一次梅鉢車
1913年(大正2年)6月29日、開業当初に導入した5両。

【6〜25号】...二次梅鉢車
同年10月31日の弁天町−海岸町間開業の為、さらに追加で20両を就役させました

【26〜30号】...九州車(博多車)
1915年(大正4年)、九州から中古車5両を購入しました。
30号(若しくは29号)29号は、1937年(昭和12年)に除雪車として改造された後も雪1号として元気に活躍してきましたが、惜しくも1997年に廃車となりました

【31号〜35号】...一次東京車
1917年(大正6年)8月9日に東京市電気局からヨト型5両を購入し、就役しました。

【36号〜40号】...成田車

1918年(大正7年)5月4日、成田電気軌道株式会社から中古電車を5両購入しました。39号は、1993年(平成5年)に除雪車から元の客車に復元され「箱館ハイカラ號」として活躍しています。

【41号〜46号】...三次梅鉢車
1919年(大正8年)に堺市の梅鉢工場からの購入。新川車庫の火災後に残った4両は、100型109〜112号に改番されました。

【53〜59号】...二次東京車
1925年(大正14年)、東京市電から251型(ヨヘシ型)7両を購入。



1926年(大正15年)1月20日に新川車庫で火災が発生しました。その後、1928年(昭和3年)から1932年(昭和7年)にかけて、車体部分を焼失した10型車で、焼け残った台車部分を流用した再生作業が行われ100型(108号以降)になった車両があります(自社再生車)。
どの10型車が100型車として生まれ変わったのかは、1934年(昭和9年)の函館大火で資料も焼失しており詳細不明です。

函館大火の際、10型で焼失を免れた車両は3,12,13,7,15,9,30,29,39の8両で車体番号の整理・改番により、11,12,13,14,15,16,30,29,39号に改められました。

10型で現存するのは、雪2号から復元された成田車の39号だけです。39号なので30型と呼ぶ場合もあるようです。歴史的な事項を考慮すれば36型が、より正確な表現と言えます。

なお、上記の「三次梅鉢車」等は、私が説明上わかりやすいようにと考えた名称で、正式名称ではありません。
 
   
50型  47〜52 → 50〜55→後に 501〜506 へ改番

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1921年(大正10年)8月5日に、大型木造電動4軸2軸8輪ボギー車2両が就役。残りの4両は同年〜1923(大正12年)の間に就役した模様です。1954年(昭和29年)頃、交通局の交通部長1946年(昭和21年)より交通局長として勤務されていた葛西民也氏が、函館水電当時に設計されたものです。
当初は47〜52号でしたが、大正15年の新川車庫の火災後に、50〜55号へ改番されました。

昭和23年〜25年に製造された500型と対比の意味で「旧500型」と呼ばれることもありますが、これは俗称であり、実車番号は50〜55号で、500番代へ改番されたことはありませんでした。
1934年(昭和9年)3月21日の函館大火により、6両全てを焼失してしまいました。
 
貨物電車   301〜304

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大正4年〜大正15年の間に有蓋(ゆうがい)貨車2両、無蓋(むがい)貨車3両 4両が作られました。有蓋貨車は屋根のある貨車、無蓋貨車は屋根の無い貨車です。大門(現在の松風町付近)と湯の川の間で使用され、一般貨物の他に軌道工事用の資材運搬なども行っていました。

函館大火の直前には有蓋貨車1両(301号)、無蓋貨車1両(304号)の2両が残っていましたが、函館大火で2両とも焼失してしまいました。その後、函館では貨物電車が作られることはありませんでした。
 
旧200型   201〜220

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元東京市電251型(ヨヘシ型)

大正15年(1926年)の新川車庫火災後、車輌を補充するために函館水電の山本源太常務取締役が東京市電より購入したヨヘシ型車両20両。
急場を凌ぐため、車番を201〜220号にした以外は、東京市電時代のそのままの姿で走らせました。函館では「源太車(ゲンタ車)」と呼ばれていました。屋根が2段式である点に特徴があります。昭和初期に100型へ車体更新が行われました。
 
    
100型   101〜140

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【101〜107号】...梅鉢製新車
1926年(大正15年)5月7日に到着。堺市の梅鉢工場より、新車で購入しました。

【108号】...自社再生車(元10型車)
いったん廃車にした10型車両を100型として復活。火災で焼け残った10型車の台車に車体を自社再生したもの。

【109〜112号】...自社再生車(元10型車)
【109〜112号】...10型からの改番車輌
元41〜46号の内、新川車庫で焼失を免れた4両(旧41,42,43,46号)。

【113〜130,132,133号】...旧200型の車体更新
新川車庫火災後、東京市電から購入した20両。当初函館では201〜220号として走らせていましたが、100型へ車体更新され車番も改められました。

【131号】...自社再生車(元10型車)
108号と同様に、いったん廃車にした10型車両を100型として復活させたもの。

【134〜140号】...自社再生車(元10型車)
1932年(昭和7年)4月6日付けで増車の届出がだされた車両。10型車の台車を流用し、車体を再生したもの。


函館大火の際、100型で焼失を免れた車両は、104,105,118,120,123,128,132,140の8両で、車体番号の整理・改番が行われ、101〜108号に改められました

後に、104(旧120)、105(旧123)、106(旧128)号は、花電車として使用されましたが1971年(昭和46年)8月2日には300型にその役目を引き渡し、廃車となりました。

かつては車体製造の専門メーカーからも絶賛された自社再生車を含む100型も、時代の流れに逆らうことはできず1台も残りませんでした。
 
200型   201〜245

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元東京市電新1型(ヨヘロ型)

1934年(昭和9年)3月21日の函館大火で、再び多くの車両を失った為、東京市より5回に分けて45両の中古の「新1型」ヨヘロ車を購入しました。この時、201から番号が付けられました。函館水電株式会社の山本源太氏という重役が買付担当だった関係で、函館では「ヨヘロ車」とは言わず「ゲンタ車」と呼ばれていたそうです。(2002.3.2削除)

その後、帝国電力株式会社時代、大日本電力株式会社時代を経て、函館市へ移管譲渡後も、しばらくは主力車両として働きましたが、順次廃車となりました。最後迄残っていた211〜214号も、1957年(昭和32年)7月17日で廃車になり、客車としての200型は途絶えました。

1937年(昭和12年)〜1939年(昭和14年)にかけて、除雪車が4両追加されました。これには、中古のヨヘロ車が使用されました。
雪3号〜雪6号の旧番号は次のとおりでした。

雪3(旧244号)、雪4(旧245号)、雪5(旧242号)、雪6(旧243号)
雪6号は、雪1号(旧30号 旧29号、元博軌電車)と共に、1997年に廃車になりました。雪3号と雪4号の2台は現役で活躍しています。
 
     
300型   301〜315

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1936年(昭和11年)自社設計(当時の帝国電力株式会社)による電車製作を計画し、函館どっく株式会社で15両製作されました。 戦後まで200型とともに、主力車両として活躍しました。道産車としては初めての車両でした。

312号は、1970年(昭和45年)の廃車後、梁川町の公園に置かれましたが、屋外展示で屋根も無く、風雨にさらされ車内も荒らされてしまい、後に撤去のうえ解体されてしまいました。

1971年(昭和46年)4月10日、302〜307号により、さよなら運転が行われました。

302(旧305号),303(旧306号),304(旧307号)の3両は、装飾車(花電車)として残され現在に至っています。ただし、車体部分の多くが外されて台車部分と電気系統、電動機系統のみが残された状態です。

301号は、しばらくの間、駒場車庫内に保存されていましたが、惜しくも解体されてしまいました。

307(旧313号)313号ですが、廃車で解体される運命の寸前に札幌へ寄贈されて生き残りました。1972年(昭和47年)6月29日、札幌の北海道開拓記念館で展示の為、札幌へ第二の余生をおくるべく旅立ちました。
この車両は旧番の313号(さよなら運転時は303号であったと推定 (2008.11.2追記))として、しばらくの間、展示されていました。しかし、現在は展示されていません。屋外でテントをかけられて、非公開の状態です。
これは、屋外展示の関係で、損傷する(主に窓ガラスがほぼ全滅)ことが続いた為です。本当は、例えば、札幌市交通資料館のような場所で屋内展示をしていただけるとよいのですが、函館市電の車両を札幌市の交通資料館で展示していただくのは難しいのかもしれません。残念ながら、函館市には、交通資料館、交通博物館等が無く、屋内展示できる設備がありません。

私は、北海道開拓記念館の関係者の皆様に感謝いたしております。北海道開拓記念館が、もし、昭和47年当時、引き取ってくださらなければ、今ごろ307(旧313号) 313号は解体されて存在していませんでした。非公開な状態であることは、残念ではありますが、安易に屋外で展示して、その結果損傷し、梁川町公園の312号と同じ結果になることは、もっと残念なことです。
いつか、どこかの施設で屋内展示がなされて、本当の意味での余生をおくって欲しいと願っています。
純国産部品を結集し、函館どっく株式会社で製造された初めての道産車15両で、車体部分も残している生き残りは、この1両だけなのです。

車番変更については「300型の車番変更」の記事を参照してください。(2008.11.2追記)
 
400型   401〜406

詳細のページへ

1922年(大正11年)から1925年(大正14年)にかけて、東京の雨宮製作所や日本車両製造株式会社で製作されました。
1940年(昭和15年)、東京京王電鉄株式会社より、中古6両木造ボギー車を購入しました。この6台を400型としました。
京王電鉄の時代は、23型として働いていました。

木造であり、もともと中古車であった為、耐用年数が短く
1961年(昭和36年)8月15日に401〜404の4両が、翌年10月15日には残りの2両も廃車となりました。

405号は、廃車後もすぐには解体されず駒場車庫内にて保存されていましたが、木造であることもあり損傷の進みが早く、惜しくも1970年(昭和45年)11月9日に解体されました。
 
600型   601〜605

解説のページへ

1954年(昭和29年)、株式会社新潟鉄工所で4両、汽車製造株式会社東京支店で1両製作されました。
500型とほぼ同じ大きさで、定員80名の大型ボギー車でした。

1973年(昭和48年)10月に全て廃車となりました。
 
700型   701〜705

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1957年(昭和32年),株式会社新潟鉄工所で5両製作されました。
500型や600型に比べ、若干長さの短い車両でしたが、定員は同じく80名でした。
600型同様、1973年(昭和48年)10月に全て廃車となりました。
 
706型   706 (518の車体更新車)

解説のページへ

1964年(昭和39年)6月、518号の台車と電動機系統を流用し、株式会社新潟鉄工所で製作されたのが706号です。
車体は、当時製作されていた800型と同じものが使われました。
車体は800型、台車は500型という特殊な姿をしており、706といっても外見は701〜705と全く異なる車両でした。定員も710型や800型と同様90名でした。

1979年(昭和54年)3月末で惜しくも廃車となりました。
 
改710型   711 (車体更新車)

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1959年(昭和34年)、株式会社新潟鉄工所で製作された711号を、1985年(昭和60年)に国鉄五稜郭車両所で改造(車体更新)したものです。定員は90名でした。運転席の窓の改善、乗降口ステップの2段化等が施されていました。

他の車両に比べ、運用コストがかかる等の理由から、2010年(平成22年)3月末をもって、惜しくも引退となりました。
 
1000型   1001〜1010 (元都電)

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1955年(昭和30年)日本車輌製造株式会社製。東京都の都電7000型として活躍していたものです。1970年(昭和45年)、東京都より10両購入しました。定員は96名で、函館市電では一番の定員数でした。

最後まで残っていた1006号(元都電7033号)は、711号と共に、2010年(平成22年)3月末をもって、惜しくも引退となりました。



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