牛島様写真館(2)
写真集 昭和48年  1973年当時の貴重な写真


牛島裕康 様のご好意により、
昭和48(1973)年当時の大変貴重な写真を、追加で掲載させていただくことができました。

厚く御礼申し上げます。 ありがとうございます。


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函館駅前 519号
【1】冬、雪の中を走る519号(ガス会社まわり)
函館駅前で撮影されたものです。



函館駅前 705号
【2】夏、8系統の705号です。
函館駅前で撮影されたものです。



柏木車庫 530号
【3】夏、2系統(柏木〜松風・函駅まわり〜谷地頭)の530号です。
柏木車庫で撮影をされたものです。柏木車庫は、廃止になり現存しません。



函館ドック前 506号
【4】10系統(五稜郭駅〜栄町〜函館ドック〜万代町〜五稜郭駅)の506号。
函館ドック前(現:函館どつく前)停留場で撮影されたものです。
停留場に、ホームが無かった当時の貴重な写真です。
右側電柱の上部に「函館ドック前」の標識が見えます。



梁川車庫 雪6号(排6号)
【5】515号とササラ電車・雪6号(排6号)です。
梁川車庫で撮影されたものです。



函館市電811号
【6】3系統(湯の川〜ガス会社まわり〜十字街)の811号です。
日立チェーンストール(新協和電器)、共同石油、越後などの看板が見えるのですが、
撮影地は、わかりませんでした。


梁川車庫 雪6号(排6号)
上記【5】の写真です。

梁川車庫 雪6号(排6号)
昭和48年(1973)8月。梁川車庫にて。
トラ塗りされていない時代の珍しい写真です。

明治36〜38年(1903〜1905)頃に製造。
製造工場は不詳(大塚工場、天野工場等が候補)。
東京市街鉄道、東京鉄道を経て、東京市電となる。
元東京市電630号(ヨシ型)。

大正9年(1920)梅鉢鉄工所で「ヨヘロ型」へ改造 。
大正14年(1925)に東京市電32号へ改番。

昭和9年(1934)の函館大火の後、
5回目の買い付けで昭和10年(1935)に
函館に到着。

函館の帝國電力(株)244号となり、
昭和10年6月29日より客車として運転を開始。

昭和15年(1940)1月19日付で除雪車へ改造。

平成9年(1997)廃車。
平成14年(2002)1月、駒場車庫で解体。

アメリカのメイン州にある
「シーショア路面電車博物館」
(The Seashore Trolley Museum)へ部品を寄贈。
博物館の車両へ、台車や電動機が部品流用された。
        斎藤様が撮影された写真です。

草の生え方が同じですので、牛島様と斎藤様は、8月の同じ頃に、撮影をされていたようです。



車番 製造年 製造メーカー 備 考
506号 1948年
(昭和23年)
日本車輌製造 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
昭和60年(1985)廃車。
515号 1948年
(昭和23年)
日本車輌製造 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
平成4年(1992)9月廃車。
519号 1949年
(昭和24年)
日本車輌製造 昭和24年12月に製造されました。昭和25年9月30日認可。
平成5年(1993)4月廃車。
530号 1950年
(昭和25年)
日本車輌製造 昭和25年11月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
2015年(平成27年)3月現在就役中。
 500形は、昭和44(1969)年2月26日付の設計変更認可により、ワンマン化が実施されました。
 このときに、運転席・正面の中間窓が大きく改造されています。
705号 1957年
(昭和32年)
新潟鉄工所 昭和32年3月に製造されました。昭和32年5月23日認可。
700形は、昭和44(1969)年2月26日付の設計変更認可により、ワンマン化が実施されました。  このときに、運転席・正面の窓が改造されています。 昭和48(1973)年10月1日付で廃車。
811号 1965年
(昭和40年)
新潟鉄工所 昭和40年4月に製造されました。昭和43年4月30日認可。
昭和43(1968)年4月30日付の認可により、ワンマン化を実施。
8010号へ車体更新され、平成25(2013)年1月11日より運行開始。
雪6号
(排6号)
1903年

1905年


(明治36年)

(明治38年)
大塚工場
天野工場
のいずれか
東京市街鉄道で運行を開始しました。
明治39(1906)年9月11日、東京電車鉄道(電鉄)、東京市街鉄道(街鉄)、 東京電気鉄道(外濠線)3社が合併し、東京鉄道(東鉄)に改称しました。

明治44(1911)年8月1日、東京市が東京鉄道を買収し、
東京市電気局が開設されました。東京市電630号(ヨシ型)となりました。

大正9(1920)年、梅鉢鉄工所で「ヨヘロ型」へ車体更新されました。
大正14(1925)年、関東大震災後の改番により、
東京市電 32号となりました。

昭和9(1934)年の函館大火後、
函館水電(株)は東京市電気局より45両の電車を購入しました。
昭和9年に3回、昭和10年に2回、計5回の買付をしています。
第1回目15両、第2回目10両、第3回目10両、第4回目5両、第5回目5両。

東京市電32号は、昭和10年・第5回目の買付で函館に到着しました。

昭和9年7月に、函館水電株式会社が、帝国電力株式会社に改称しました。

東京市電11号は函館の帝國電力(株)243号となりました。
函館では、昭和10(1935)年6月29日より運転を開始しました。

客車として運用された後、ササラ電車へ改造されました。
改造の届出は、昭和15(1940)年1月19日付。

昭和18(1943)年7月1日、都制施行に伴い、
東京市電気局が東京都交通局に改称しました。

平成9年(1997)廃車。
平成14年(2002)1月、駒場車庫で解体。

アメリカのメイン州にある「シーショア路面電車博物館」
(The Seashore Trolley Museum)へ部品を寄贈。
博物館の車両へ、台車や電動機が部品流用されました。
■参考資料
 ●「購入東京車主要改修一覧表」(昭和10年 帝国電力株式會社)
 ●「車輌増加届」(昭和11年12月15日 帝国電力株式會社)
 ●『市電50年のあゆみ』(昭和39年10月 函館市交通局)
 ●『都電車両50年のあゆみ』(高松吉太郎氏)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.121〜131(1961年8月〜1962年5月)の連載記事

■関連記事
 ●斎藤様写真館  ●車両の推移
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