牛島裕康 様のご好意により、
昭和48(1973)年当時の大変貴重な写真の掲載許可を頂戴いたしました。
ここでご紹介する写真の著作権は、牛島様がお持ちになっています。
どれも、現在では撮影不可能な貴重な写真です。
貴重な写真を後世に残し、そして掲載の許可をくださったことに対し、 厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。
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【1】2系統(柏木町〜松風町・函館駅前まわり〜谷地頭)の807号です。
函館駅前で撮影されたものです。富士銀行や北陸銀行の看板が見えます。
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【2】1系統(湯の川〜ガス会社まわり〜五稜郭駅)の1002号です。
湯の川停留場で歩道橋の上から撮影されたものです。
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【3】3系統(湯の川〜ガス会社まわり〜十字街)の720号です。
湯の川停留場で撮影されたものです。この湯倉神社前の歩道橋は現存しています。
ですが、停留場の位置が変更になり、現在では、歩道橋と停留場は直結していません。
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【4】3系統(湯の川〜ガス会社まわり〜十字街)の718号と、
1系統(五稜郭駅〜ガス会社まわり〜湯の川)の1004号です。
湯の川停留場付近で撮影されたものです。
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【6】路面電車ではありませんが、珍しいお馬さんの写真なので、
併せて掲載させていただきました。撮影地は、大沼公園駅です。
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【7】大沼公園駅の待合室の中から撮影したものです。
ワンチャンも写っていますね。 |
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【8】上の写真で、お馬さんの付近を拡大したものです。
「国鉄構内 駐停車禁止 大沼公園駅」の立て札が立っています。 |
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上記【4】の写真です(1004号と718号)。右端にトラックが写っています。
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斎藤様が撮影された写真です(1004号と718号)。718号の右横にトラックが写っています。
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牛島様と斎藤様は、8月の同じ日に、同じ湯の川で撮影をされていたようです。
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車番 |
製造年 |
製造メーカー |
備 考 |
701号 |
1957年 (昭和32年) |
新潟鉄工所 |
昭和32年3月に製造されました。昭和32年5月23日認可。
700形は、昭和44(1969)年2月26日付の設計変更認可により、ワンマン化が実施されました。
このときに、運転席・正面の窓が改造されています。
昭和48(1973)年10月1日付で廃車。
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718号 |
1960年 (昭和35年) |
新潟鉄工所 |
昭和35年5月に製造されました。昭和35年5月25日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
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720号 |
1960年 (昭和35年) |
新潟鉄工所 |
昭和35年5月に製造されました。昭和35年5月25日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
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710形は、昭和43(1968)年9月18日付の認可により、ワンマン化が実施されました。
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807号 |
1963年 (昭和38年) |
新潟鉄工所 |
昭和38年4月に製造されました。昭和38年3月1日認可。
昭和43(1968)年4月30日付の認可により、ワンマン化が実施されました。
8101号へ車体更新され、平成14(2002)年4月22日より運行開始。
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1002号 |
1955年 (昭和30年) |
日本車輌製造 東京支店 |
昭和30年7月4日に製造されました。
昭和30年7月22日東京都電7042号として認可。
三ノ輪車庫に配属の後、昭和44年(1969)2月8日に 錦糸堀車庫へ転属。
昭和48(1973)年10月1日付で廃車。
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1004号 |
1955年 (昭和30年) |
日本車輌製造 |
昭和30年7月2日に製造されました。
昭和30年7月22日東京都電7036号として認可。
早稲田車庫に配属の後、昭和43年(1968)10月1日に 神明町車庫へ転属。
昭和54(1979)年3月31日付で廃車。
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1000形は、昭和45(1970)年2月上旬、函館に到着しました。購入日は、3月9日付。
昭和45(1970)年2月7日付で設計変更が申請されて、その後ワンマン化が実施されました。
ワンマン化と同時に、運転席・正面の2枚窓の片側が大きく改造されています。
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■参考資料
●鉄道ピクトリアルNo.259(1971年12月臨)「函館市交通局」(北大鉄道研究会・大西清友氏)
●鉄道ピクトリアルNo.593(1994年7月臨)「都電7000形ものがたり」(三田研慈氏) 他
■関連記事
●斎藤様写真館
●車両の推移
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(2015年2月24日掲載)
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