徳永様写真館
写真集 昭和44年  1969年、1977年、1988年当時の貴重な写真


徳永 益男 様のご好意により、
昭和44(1969)年7月、昭和52(1977)年9月、昭和63(1988)年6月当時の、
大変貴重な写真の掲載許可を頂戴いたしました。

ここでご紹介する写真の著作権は、徳永様がお持ちになっています。
どれも、現在では撮影不可能な貴重な写真です。

貴重な写真を後世に残し、そして掲載の許可をくださったことに対し、
厚く御礼申し上げます。 ありがとうございます。







【8】昭和52(1977)年9月。駒場車庫の530号。 「駒場車庫前〜(宮前町まわり)〜五稜郭駅」の 方向幕になっています。

「ゆっくり走ろう北海道」のステッカーが貼られています。 昭和49年(1974)に北海道警察が策定したスローガンだそうです。

たくさん在籍していた500形ですが、平成27(2015)年2月現在、在籍しているのは、この530号と、AMUSEMENT TRAMの501号(旧505号)の2両だけとなりました。製造当時の原型をほぼ留めているのは、この530号1両だけです。










【17】昭和52(1977)年9月。駒場車庫のササラ電車・雪1号(排1号)。雪1号は、1911年(明治44年)4月、川崎造船所兵庫鉄道部で作られました。九州の博多電気軌道で活躍した後、1912(明治45・大正元)年7月、合併により九州水力電気の車両となりました。

1915年(大正4年)に函館に来て、当時、函館で路面電車を運営していた函館水電の29号になりました。昭和11(1936)年に雪2号(千葉県成田市から来た電車)と共に、除雪車へ改造されました。(但し、届出は翌年の1937年4月22日付)。

遠く九州の博多から大正時代にやってきた車両でしたが、惜しくも平成9(1997)年廃車となり、平成14(2002)年1月に解体されてしまいました。電動機や台車などの部品は、アメリカのメイン州にある「シーショア路面電車博物館」(The Seashore Trolley Museum)の車両へ転用されました。

平成27(2015)年2月現在、2両のササラ電車が残されていますが(雪3号と雪4号)、この2両は、元東京市電の車両です。東京が、「東京都」になる前の「東京市」の時代に、購入したものです。









車番 製造年 製造メーカー 備 考
508号 1948年
(昭和23年)
日本車輌製造 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
昭和61(1986)年3月末付で廃車。
511号 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
平成3(1991)年4月30日付で廃車。
512号 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
平成3(1991)年4月30日付で廃車。
513号 昭和23年11月に製造されました。昭和24年9月28日認可。
平成4(1992)年9月30日付で廃車。
516号 1949年
(昭和24年)
日本車輌製造 昭和24年12月に製造されました。昭和25年9月30日認可。
平成5(1993)年4月1日付で廃車。
517号 昭和24年12月に製造されました。昭和25年9月30日認可。
平成5(1993)年4月1日付で廃車。
521号 1950年
(昭和25年)
日本車輌製造 昭和25年5月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成5(1993)年4月1日付で廃車。
525号 昭和25年5月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成6(1994)年3月31日付で廃車。
527号 1950年
(昭和25年)
日本車輌製造 昭和25年11月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成7(1995)年3月31日付で廃車。
528号 昭和25年11月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成9(1997)年3月26日付で廃車。
529号 昭和25年11月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成19(2007)年3月30日付で廃車。
530号 昭和25年11月に製造されました。昭和26年3月6日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
 500形は、昭和44(1969)年2月26日付の設計変更認可により、ワンマン化が実施されました。
 このときに、運転席・正面の中間窓が大きく改造されています。
715号 1959年
(昭和34年)
新潟鉄工所 昭和34年5月に製造されました。昭和34年5月26日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
720号 1960年
(昭和35年)
新潟鉄工所 昭和35年5月に製造されました。昭和35年5月25日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
722号 1961年
(昭和36年)
新潟鉄工所 昭和36年10月に製造されました。昭和36年7月10日認可。
平成26(2014)年3月末付で廃車。
723号 昭和36年10月に製造されました。昭和36年7月10日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
724号 昭和36年10月に製造されました。昭和36年7月10日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
 710形は、昭和43(1968)年9月18日付の認可により、ワンマン化が実施されました。
804号 1962年
(昭和37年)
新潟鉄工所 昭和37年7月に製造されました。昭和37年8月1日認可。
8003号へ車体更新され、平成4(1992)年2月16日より運行開始。
805号 昭和37年7月に製造されました。昭和37年8月1日認可。
8006号へ車体更新され、平成7(1995)年3月31日より運行開始。
806号 1963年
(昭和38年)
新潟鉄工所 昭和38年4月に製造されました。昭和38年3月1日認可。
8007号へ車体更新され、平成9(1997)年3月6日より運行開始。
808号 昭和38年4月に製造されました。昭和38年3月1日認可。
8002号へ車体更新され、平成2(1990)年12月22日より運行開始。
811号 1965年
(昭和40年)
新潟鉄工所 昭和40年4月に製造されました。昭和43年4月30日認可。
8010号へ車体更新され、平成25(2013)年1月11日より運行開始。
812号 昭和40年4月に製造されました。昭和43年4月30日認可。
平成27(2015)年2月現在、現役。
 800形は、昭和43(1968)年4月30日付の認可により、ワンマン化が実施されました。
1006号 1955年
(昭和30年)
日本車輌製造 昭和30年6月30日に製造されました。
昭和30年7月22日東京都電7033号として認可。
錦糸堀車庫に配属の後、昭和43年(1968)5月22日に
荒川車庫へ転属。
昭和45(1970)年2月上旬、函館に到着。購入日は、3月9日付。
設計変更は、2月7日付で申請されて、その後ワンマン化を実施。
ワンマン化と同時に、運転席・正面の2枚窓の片側を大きく改造。
平成22(2010)年3月末付で廃車。
雪1号
(排1号)
1911年
(明治44年)
川崎造船所
兵庫鉄道部
明治44年4月に製造されました。
博多電気軌道で運行を開始。
明治45・大正元(1912)年7月、九州水力電気の車両となりました。
大正4(1915)年に函館到着し、函館水電29号となりました。

昭和11(1936)年、客車よりササラ電車へ改造されました。
届出は翌年4月22日付。

平成9(1997)年1月31日付で廃車。
平成14(2002)年1月に解体。
部品は、「シーショア路面電車博物館」の車両へ転用されました。
雪4号
(排4号)
1903年

1905年


(明治36年)

(明治38年)
日本車輌
天野工場
自社工場
の何れか
東京電車鉄道で運行を開始しました。
明治39(1906)年9月11日、東京電車鉄道(電鉄)、東京市街鉄道(街鉄)、
東京電気鉄道(外濠線)3社が合併し、東京鉄道(東鉄)に改称しました。

明治44(1911)年8月1日、東京市が東京鉄道を買収し、
東京市電気局が開設されました。東京市電128号(ヨト型)となりました。

大正9(1920)年、市電浜松工場で「ヨヘロ型」へ車体更新されました。
大正14(1925)年、関東大震災後の改番により、
東京市電 11号となりました。

昭和9(1934)年の函館大火後、
函館水電(株)は東京市電気局より45両の電車を購入しました。
昭和9年に3回、昭和10年に2回、計5回の買付をしています。
第1回目15両、第2回目10両、第3回目10両、第4回目5両、第5回目5両。
東京市電11号は、昭和10年・第5回目の買付で函館に到着しました。

昭和9年7月に、函館水電株式会社が、
帝国電力株式会社に改称しました。

東京市電11号は函館の帝國電力(株)245号となりました。
函館では、昭和10(1935)年6月30日より運転を開始しました。

客車として運用された後、ササラ電車へ改造されました。
改造の届出は、昭和12(1937)年4月24日付。

昭和18(1943)年7月1日、都制施行に伴い、
東京市電気局が東京都交通局に改称しました。

平成27(2015)年2月現在、現役。

雪3号〜雪6号の4両が、元東京市電の車両でしたが、
現存するのは、雪3号、雪4号の2両だけとなりました。

雪2号は、千葉県成田市から来た車両ですが、
箱館ハイカラ號として客車に復元されています。
花3号
(装3号)
1936年
(昭和11年)
函館船渠 昭和11年、帝國電力(株)の設計により、
函館船渠(株)(はこだてせんきょ:現在の函館どつく(株))で
製造されました。
昭和11年7月22日、帝國電力307号として認可を受けました。
昭和45(1970)年5月20日付で客車としては廃車となりました。
昭和46年8月2日、旧装飾車(104〜106号)の廃止に伴い、
装飾車へ改造されて運転を開始しました。

装飾車装3号(花3号)ですが、車籍上は304号の扱いとなっています。
これは、装1号(旧305号)〜装3号(旧307号)の3両を、
301号(昭和55〜56年頃解体)に続く車番として、
番号を前に詰めて改番したためと考えられます。
■参考資料
 ●「購入東京車主要改修一覧表」(昭和10年 帝国電力株式會社)
 ●「車輌増加届」(昭和11年12月15日 帝国電力株式會社)
 ●鉄道ピクトリアルNo.259(1971年12月臨)「函館市交通局」(北大鉄道研究会・大西清友氏) 他

■関連記事
 ●東京の車番で運転  ●除雪車一覧  ●雪1号と雪6号-その後  ●500型の落成写真  ●車両の推移
(2015年2月11日掲載)前のページへ戻る
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