東京の車番で運転
 200型  昭和9年の函館大火直後

「国立公文書館」に保存されている資料の中に、帝国電力株式會社の作成した『購入東京車主要改修一覧表』がありました。この資料は、1934年(昭和9年)の函館大火後に東京市電から購入した45両の車輌について改修した日付を記録したものです。この表を見ていて驚いたのが、「車號書替年月日」という項目です。
組立完成検査が終り、運転を開始した後も、しばらくの期間は東京市電時代の車番のまま走っていたことがわかったからです。これには驚きました。

例えば、東京市電の52号は、函館では201号になりましたが、201号の車番になったのは昭和9年7月14日でした。しかし、その前の4月19日から運転は行われていたのです。つまり、4月19日から7月13日迄の間は東京市電時代の52号の車番で走っていたのです。

東京市電から購入は5回に分けて行われました。その中で、東京市電の車番で走っていたのは2回目迄に購入した25両です。
具体的な車番は52,56,58,60,63,64,65,74,76,79,80,81,83,86,87
90,91,92,93,95,96,97,101,102,103です。

函館の路面電車には、60〜100という車番は本来なら存在しないのですが、大火後の4月〜8月にかけて、東京市電時代の番号のまま、走っていたことになります。52,101,102,103の4両は大火の直前には存在していた車輌ですが、焼失してしまった為、東京市電の車輌と重複しなかったようです。3〜5回目に購入した車番と見比べると、どうも1〜2回目に購入した車番に意図的なものを感じるのです。

つまり、
「函館は大火によって物資が無い。車番を書き換える為のペンキさえない。焼失せず残った車輌と番号が重ならない車輌が欲しい、東京時代の番号でかまわないから、そのままでしばらく走らせたい。車番を書き換えている余裕は無い。」みたいな要望があったのではないか....という推測です。

東京市電から購入した車輌の車番が、函館の車番との重複を避けて、しかもある程度つながっている。...そんなふうに見えます。

ただ、残念ながら、大火の様子を伝える絵葉書は拝見したことはあるものの、東京時代の車番で写っている路面電車の絵葉書は、まだ拝見したことはありません。

これら45両は、何れも明治時代に製作されたもので、大正時代に車体更新を受けています。下記の表に「製作」とありますが、「更新」がより正確な表現です。東京で関東大震災にあった際も、焼失せずに残った車輌でした。

資料の日付には、「組立完成検査年月日」よりも「営業運転始年月日」のほうが先になっている部分があります。また11月は30日までしかないのに11月31日といった記述もあります。何れも記載ミスだと思われますが、貴重な資料であることに変わりはありません。
また、この一覧表には、ブレーキや連結装置の改造日等、他にもたくさんの日付がかかれているのですが、ここでは省略させていただきました。

なお、226〜235号の車輌増加届は昭和11年12月15日付になっており、何かの理由で就役が遅れたと当初は考えておりましたが、増加届をよく読むと次のような記述がありました。

尚本車輌ハ昭和九年末購入セシモノニシテ届出漏レナル事判明仕候ニ付今般改メテ提出スル次第ニ有之候

つまり、就役が遅れたわけではなくて、単に増加届の提出漏れだったことがわかりました。

244号は除雪車の雪3号、245号は雪4号に改造されて残っています。200型の生き残りはこの2両だけになりました。
      
                                                                                    
購入別 東京市電
車號
帝電車號 ボデー
製作所名
製作年月日  組立完成検査年月日 営業運轉始年月日 車號書替
年月日
第臺回分 52 201 尼ヶ崎 田中 大正
11年11月
昭和
9年4月19日
昭和9-4-19 9-7-14
56 202 9-4-24 9-4-24 9-7-17
58 203 9-4-24 9-4-24 9-7-26
60 204 9-4-22 9-4-22 9-7-25
63 205 11年12月 9-4-22 9-4-22 9-7-27
64 206 9-4-21 9-4-22 9-7-28
65 207 9-4-18 9-4-19 9-8-7
74 208 9-4-20 9-4-21 9-8-8
76 209 9-4-24 9-4-21 9-8-5
79 210 東京 雨宮 9-4-24 9-4-24 9-8-9
80 211 9-4-24 9-4-25 9-8-14
81 212 9-4-23 9-4-24 9-8-10
83 213 9-4-18 9-4-21 9-8-4
86 214 12年3月 9-4-23 9-4-24 9-8-10
87 215 9-4-18 9-4-19 9-8-11
第貳回分 90 216 11年 9-5-30 9-5-31 9-8-11
91 217 9-7-6 9-7-7 9-8-6
92 218 9-7-5 9-7-6 9-8-12
93 219 9-5-29 9-6-2 9-8-17
95 220 12年 9-7-3 9-7-1 9-8-13
96 221 9-7-3 9-7-4 9-8-16
97 222 9-7-4 9-7-5 9-8-2
101 223 9-7-10 9-8-6 9-8-14
102 224 9-7-7 9-7-8 9-8-13
103 225 11年 9-5-27 9-5-27 9-8-12
第参回分 37 226 堺 梅鉢 9年 9-11-1 9-11-3 9-11-2
40 227 9-11-1 9-11-3 9-11-1
41 228 9-11-2 9-11-4 9-11-3
44 229 9-11-3 9-11-5 9-11-3
45 230 尼ヶ崎 田中 11年 9-10-31 9-11-1 9-11-31
48 231 9-11-4 9-11-5 9-11-4
49 232 9-11-2 9-11-4 9-11-2
50 233 9-11-6 9-11-6 9-11-4
84 234 東京 雨宮 12年 9-11-6 9-11-6 9-11-6
94 235 9-11-1 9-11-1 9-11-1
第四回分 33 236 堺 梅鉢 9年 10-4-15 10-4-15 10-4-13
34 237 10-4-16 10-4-17 10-4-15
36 238 10-4-16 10-4-17 10-4-15
27 239 10-4-23 10-4-24 10-4-23
38 240 10-4-25 10-4-26 10-4-25
第五回分 4 241 市電浜松工場 9年 10-6-27 10-6-28 10-6-27
12 242 10-6-27 10-6-28 10-6-27
32 243 堺 梅鉢 10-6-29 10-6-29 10-6-29
35 244 10-6-29 10-6-29 10-6-29
11 245 市電浜松工場 10-6-30 10-6-30 10-6-30

■参考資料
 ●「購入東京車主要改修一覧表」(昭和10年 帝国電力株式會社)
 ●「車輌増加届」(昭和11年12月15日 帝国電力株式會社)

■補足
 ・尼ヶ崎 田中...田中車輌工場→現在の「近畿車輛株式会社」
 ・東京 雨宮.... 雨宮製作所。東京/深川。
 ・堺 梅鉢.....梅鉢鉄工所→現在の「東急車輌株式会社」
 ・市電浜松工場...東京/浜松。

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(2003年6月25日掲載)



 

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