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メイン州 |
シーショア路面電車博物館で1台に再生予定 |
1997年に廃車となった、雪1号(九州車)と雪6号(ヨヘロ車)は、解体されたものと考えておりました。しかし、函館市の田澤様からの情報で、アメリカの博物館に引き取られたことが判明いたしました。アメリカのメイン州にある「シーショア路面電車博物館(The Seashore Trolley Museum)」で、2両を合わせて1両の客車として再生される予定です。
今回の渡航に関しては、関西外国語大学短期大学部助教授で、「鉄道史学会」、「産業考古学会」会員の岡田広一様の仲介で実現したそうで、函館市交通局でも復元車両の完成を楽しみにしているそうです。
貴重な情報をご提供くださった田澤様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。
【雪1号の略歴】
・製造年〜1911年(明治44年)4月、川崎造船所兵庫鉄道部
・主な仕様(除雪車改造後)
最大長×幅×高:8,700×2,344×3,960(mm)
自重:9.8(t)
前照灯:2個
室内灯:4個
固定軸距離:1,829(mm)
車輪径:787(mm)
電動機:運転用18.7KW×2/ブルーム用18.7KW×1
歯車比:運転用6.61/ブルーム用4.3
台車:ブリル21E(九州時代からブリル21Eでした)
・初任地(推定)〜九州の博多電気軌道
博多電気軌道(博軌電車)時代の車番は不明。
小熊氏の調査では27〜45号の中の何れかであった可能性が
あるとのこと。
・1912年7月、合併により九州水力電気の車両となる。
博軌電車2号(『想い出のアルバム 博多、あの頃』より)
台車がペックハム7B型なので、函館にやってきた5両は、
違うタイプの車両だと思われます。
博多呉服町を走る博軌電車(『チンチン電車80年』より)
九州水力博軌電車22号(『日本路面電車変遷史』より)
台車がブリル21Eで、側面腰板2枚式のこちらと同じタイプで
あったと考えられます。
・函館に来た時期〜1915年(大正4年)仲間と一緒に(全部で5両)。
軌道間隔を1435mmから1372mmへ改造した工場は不明。
・函館時代の車番〜29号若しくは30号。
帝国電力株式会社が鉄道省に1937年4月22日付で提出した
除雪車改造に関する廃車届によれば29号。
川上氏や小熊氏の説では30号。
・1934年(昭和9年)、函館大火に遭遇。
九州車5両(26〜30号)の中で、唯一生き残った九州車。
・1936年〔昭和11年)に成田車(→雪2号)と共に除雪車へ改造。
但し届出は前述のとおり1937年4月22日。
・1997年、惜しくも廃車。
川上幸義氏撮影の雪1号−『鉄道ピクトリアルNo.32』より
【雪6号の略歴】
・製造年〜1903年〜1905年(明治36年〜38年)の何れかの年
大塚工場、天野工場等で製作されたが、特定できない。
・主な仕様(除雪車改造後)は、雪1号と同様。
ただし、製作当時の台車は、ぺックハム社、又はジョンバット社。
東京市電時代に、ブリル21Eへ変更されたと考えられる。
・初任地〜東京市街鉄道
1906年(明治39年)の合併により東京鉄道株式会社の所属となる。
1911年(明治44年)8月、買収により東京市電の所属となる。
・東京市電時代の車番〜当初は630号。
当初はこのような636号と同様の姿(ヨシ車)でした
高松吉太郎氏撮影−『鉄道ピクトリアルNo.59』より
・東京市電において、大正6年以降、車体更新を受けヨヘロ車となる。
ヨヘロ車になってからは、115号と同様の姿になりました
高松吉太郎氏撮影−『鉄道ピクトリアルNo.443』より
・東京市電の1925年(大正14年)の改番で32号となる。
・函館に来た時期〜1934年(昭和9年)函館大火後。
鉄道省への届出は1935年8月15日付。
仲間と一緒に到着(数回に分けて、全部で45両)。
函館水電株式会社の山本源太氏が東京市電より買付した。
山本源太氏は、昭和5年6月21日の第48回定時株主総会で 函館水電を退任されています。
昭和9年当時の役員は、専務取締役が穴水熊雄氏、取締役は石津龍輔氏、 渡邉又四郎氏、岡田伊太郎氏の三名でした。
・函館時代の車番〜243号。
・1940年〔昭和15年)に242号(→雪5号)と共に除雪車へ改造。
大日本電力株式会社の届出は1940年1月19日付。
・1997年、雪1号と共に惜しくも廃車。
イベントで特殊な塗装となり、その後廃車となった雪6号(左)
1998年8月20日撮影
廃車後、解体されたとばかり思っていた2両。
成田車の39号のように、除雪車から復元されることもなく不運だとばかり思っていました。2両を合わせて1両に復元するようですが、解体されて何も残らない事に比べたら、1両であっても
とてもありがたいことです。
岡田広一様と函館市交通局の皆様に感謝いたします。
客車への復元完成時期は、まだ未定のようですが待ち遠しいです。
■参考文献
●和久田様から別途頂戴した資料
●『日本の路面電車−震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
−「鉄道ピクトリアル」誌No.329〜336(1977年1月〜7月)
の連載記事」
●『私鉄史ハンドブック』(和久田康雄様)−株式会社電気車研究会
●『函館市電』(川上幸義氏)
−「もはゆに」誌No.7( 1948年12月)...東京鉄道同好会の会報
●『函館市電 その后』(川上幸義氏)
−「Romance Car」誌No.8(1949年12月)..東京鉄道同好会の会報
●『凾館市電』(川上幸義氏)
−「鉄道ピクトリアル」誌1954年(昭和29年)3月号(通巻No.32)
●『都電車両50年のあゆみ』(高松吉太郎氏)
−「鉄道ピクトリアル」誌No.121〜131(1961年8月〜1962年5月)
の連載記事
●『木製車 花やかなりし頃−大正時代の東京市電−』(高松吉太郎氏)
−「鉄道ピクトリアル」誌No.59(1956年6月)
●『凾館市電の除雪電車 その雪1,2号の来歴について』(小熊米雄氏)
−「鉄道ファン」誌1963年(昭和38年)1月号(通巻No.19)
●『台車のはなし』VI(私鉄編 単台車)(『レイル24号』 吉雄永春氏)
●『日本路面電車変遷史』(鉄道図書刊行会)(高松吉太郎氏)
●『想い出のアルバム 博多、あの頃』(葦書房・1977年)
(石橋源一郎氏・波多江五兵衛氏)
●『チンチン電車80年』(立風書房・1978年)(東京出版企画社)
●『市電50年のあゆみ』−函館市交通局
●『走りました80年』−函館市交通局
(2002年1月30日/2月11日写真追加掲載)
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