古村誠 様のご好意により、
昭和48(1973)年8月11日に撮影された、大変貴重な写真の掲載許可を頂戴いたしました。
ここでご紹介する写真の著作権は、古村様がお持ちになっています。
どれも、現在では撮影不可能な貴重な写真です。
貴重な写真を後世に残し、そして掲載の許可をくださったことに対し、 厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。
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【1】駒場車庫に留置されていた 301号です。
大変美しいカラー写真で記録されていて、拝見したときは、とても驚きました。
当時は、カラーフイルムも、大変高価であったと思います。
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【2】駒場車庫で撮影された ササラ電車 雪2号(排2号)です。
箱館ハイカラ號に復元される前の姿を記録した、貴重なカラー写真です。
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【3】2系統 谷地頭−(松風町、函館駅前経由)−柏木町の525号です。
谷地頭を出発し、青柳町の停留場に到着するところを撮影されたものです。
一緒に写っている自動車のデザインや色等も含め、とても貴重な写真だと思います。
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車番 |
製造年 |
製造メーカー |
備 考 |
301号 |
1936年 (昭和11年) |
函館船渠 株式会社 |
昭和11年(1936)函館船渠株式会社(現在の函館どつく)で 製造されました。
昭和11年6月7日、帝國電力301号として就役を開始しました。
昭和45年(1970)1000形の導入に伴い余剰と判断され、 昭和46年8月20日付で廃車となりました。
廃車後もしばらくは駒場車庫に保存されていましたが、 昭和55年(1980)か56年に解体されたようです。
300形は、305〜307号が、花電車に改造されて残されています。
また、非公開の状態ですが、313号が「北海道開拓記念館」に 残っています。
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雪2号 (排2号) |
1910年 (明治43年) |
天野工場 |
明治43年(1910)、天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で 製造されました。
明治43年(1910)12月、千葉県成田市の成宗電気軌道(株)で、 運転を開始しました。
大正7年(1918)に、当時、路面電車を運営していた函館水電(株)は、 成田電気軌道(株)(旧成宗電気軌道)より、5両の客車を購入しました。
その5両は、函館では、36号〜40号の車番になりました。
大正15年(1926)1月20日の新川車庫火災で、37号と40号が焼失。
昭和9年(1934)3月21日の函館大火で、36号と38号が焼失。
成田電気軌道(株)から購入した5両の中では、39号だけが残りました。
昭和12年(1937)に、ササラ式(ブルーム式)除雪車に改造されました。
このときから、客車ではなく、雪2号(排雪車・排2号)となりました。
平成5年(1993)路面電車開業80周年、市営交通発足50周年の
記念すべき年に客車へ復元されました。
平成5年(1993)8月2日より「箱館ハイカラ號」として運転を開始しました。
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525号 |
1950年 (昭和25年) |
日本車輌製造(株) 東京支店 |
昭和25年(1950)5月、日本車輌製造(株)東京支店で製造されました。
昭和26年(1951)3月6日、函館市電525号として認可を受けました。
昭和38年(1963)11月より3ドア使用から2ドア使用へ変更されました。
昭和45年(1970)3月ワンマンカー改造と運転窓改良が行われました。
昭和47年(1972)11月、暖房設備が取り付けられました。
平成6年(1994)2002、3002号の導入により余剰と判断され 3月31日付で廃車となりました。
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■参考資料
●『車輌使用廢止届』(大正15年 函館水電株式會社)
●『車輌焼失届』(昭和9年 函館水電株式會社) 他
■関連記事
●車両の推移2
●車両の推移
●北海道開拓記念館の313号
●昔活躍した車両
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(2018年8月5日掲載)
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