車両の推移2
一部推定  昭和9年の函館大火まで

国立公文書館に保存されている資料の中に、函館水電株式會社の作成した『車輌使用廢止届』(大正15年)、『車輌焼失届』(昭和9年)等貴重な文献が保存されていました。これらの資料をもとに、もう一度1934年(昭和9年)の函館大火までの車両の推移を整理してみました。

最初に、この2つの資料を抜粋します。本来は縦書きですが、ここでは横に書いています。

■車輌使用廢止届

 弊社経営ノ電車運輸業ニ使用中ノ電車中別紙調書ノ貳拾貳臺ハ焼失ニ付使用廢止致候間此段及御居候也

大正十五年四月十日

函館市末廣町四拾六番地
函館水電株式會社
取締役会長 藤 山 雷 太

北海道廳長官 中 川 健 蔵 殿


調書

大正貳年六月拾七日附北海道廳指令第四六參壹號認可電車貳拾五臺中焼失
 第壹號、第貳號、第七號、第九號、第拾壹號、第拾貳號、第貳拾號及第貳拾五號ノ八臺

大正四年拾壹月拾貳日附北海道廳指令第七五八七號認可電車五臺中焼失
 第貳拾六號、第貳拾七號及第貳拾八號ノ參臺

大正六年拾月貳拾六日増加届出ノ電車五臺ハ全部焼失ス
 第參拾壹號ヨリ第參拾五號マテ五臺

大正七年五月貳日増加届出ノ電車五臺中焼失
 第參拾七號及第四拾號ノ貳臺

大正八年拾壹月拾九日附北海道廳指令第九參四參號認可電車五臺中焼失
 第四拾四號及第四拾五號ノ貳臺

大正拾年拾貳月貳拾七日付土道第四七○○號指令認可ボギー車六臺中焼失
 第四拾八號及第五拾貳號ノ貳臺

計貳拾貳臺


上記を現代風にわかりやすく書くと次のとおりです。

大正2年6月17日付北海道庁指令第4631号認可電車25台中焼失
 第1号、第2号、第7号、第9号、第11号、第12号、第20号及び第25号の8台

大正4年11月12日付北海道庁指令第7587号認可電車5台中焼失
 第26号、第27号及び第28号の3台

大正6年10月26日増加届出の電車5台は全部焼失
 第31号より第35号まで5台

大正7年5月2日増加届出の電車5台中焼失
 第37号及び第40号の2台

大正8年11月19日付北海道庁指令第9343号認可電車5台中焼失
 第44号及び第45号の2台

大正10年12月27日付土道第4700号指令認可ボギー車6台中焼失
 第48号及び第52号の2台

計22台



■車輌焼失届

昭和九年三月二十一日火災ノ爲メ弊社電氣軌道用車輌左記ノ分焼失仕リ候間此段及御届候也
追而右焼失車輌ノ補充ハ早急ヲ要スルニ付東京市電氣局ヨリ現在使用中ノ四輪電動客車拾五輌ヲ譲受ケ他ハ電鐵用常用發電機復舊工事完了ヲ俟ツテ全様ノモノ拾輌増加シ其他拾輌單車又ハボギー車々種考究ノ上本年末ニ到ル迄ニ新造致シ合計五拾壹輌トスル豫定ニ御座候而シテ災害前ノ運轉車輌数ハ四拾五輌ヲ要セシモ目下ノ處乗客ノ分布状態ハ災害前ト多少變化ヲ來タシ候ニ付キ右補充車輌ニテ當分ノ間何等支障ヲ生ゼザル見込ニ有之候



一、ボギー八輪電動客車 四輌 大正十年十ニ月廿七日道廳指令第四七○○號許可、番號五○−五三號

一、全 上 二輌 昭和四年一月十九日監第三三號許可、番號五四・五五號

一、四輪電動客車 一一輌 大正二年六月十七日道廳指令第四六三一號許可、番號四・五・六・八・一○・一一・一四・一六・一七・一八・一九號

一、四輪電動客車 一輌 大正四年十一月十ニ日道廳指令第七五八七號許可、番號三○號

一、全 上 二輌 大正七年五月ニ日届出番號三六・三八號

一、全 上 四輌 大正八年十一月十九日道廳指令第九三四三號許可、番號一○九−一一ニ號

一、全 上 一五輌 昭和二年六月十八日監第一四八六號許可、番號一一三−一一七・一一九・一二一・一二二・一二四−一二七・一二九・一三○・一三三號

一、全 上 五輌 昭和三年一月十六日監第三六三四號許可、番號一○一・一○二・一○三・一○六・一○七號

一、全 上 六輌 昭和七年四月六日監第八○九號許可、番號一三四−一三九號

一、全 上 二輌 昭和七年十月一日届出、番號一○八、一三一號

一、四輪電動有蓋貨車 一輌 昭和二年八月二十九日監第一四八六號許可 番號三○一號

一、四輪電動無蓋貨車 一輌 昭和三年一月二十五日監第九四號許可、番號三○四號

昭和九年四月十ニ日

東京市京橋區銀座四丁目參番地貳
函館水電株式會社
専務取締役 穴 水 熊 雄

内務大臣 男爵 山 本 達 雄 殿
鉄道大臣     三 土 忠 造 殿


これも主要な部分をわかりやすく書き直してみます。

1.ボギー八輪電動客車 4輌 大正10年12月27日道庁指令第4700号許可、番号50−53号

1.全 上 2輌 昭和4年1月19日監第33号許可、番号54・55号

1.四輪電動客車 11輌 大正2年6月17日道庁指令第4631号許可、番号4・5・6・8・10・11・14・16・17・18・19号

1.四輪電動客車 1輌 大正4年11月12日道庁指令第7587号許可、番号30号

1.全 上 2輌 大正7年5月2日届出番号36・38号

1.全 上 4輌 大正8年11月19日道庁指令第9343号許可、番号109−112号

1.全 上 15輌 昭和2年6月18日監第1486号許可、番号113−117・119・121・122・124−127・129・130・133号

1.全 上 5輌 昭和3年1月16日監第3634号許可、番号101・102・103・106・107号

1.全 上 6輌 昭和7年4月6日監第809号許可、番號134−139号

1.全 上 2輌 昭和7年10月1日届出、番号108・131号

1.四輪電動有蓋貨車 1輌 昭和2年8月29日監第1486号許可 番号301号

1.四輪電動無蓋貨車 1輌 昭和3年1月25日監第94号許可、番号304号

合計すると客車が52両、貨車が2両で54両になります。

■貨車も2両焼失
函館大火の直前では、貨車が300番台の車番で管理されていたことがわかります。函館で200番台の車番が使われ始めたのは、新川車庫火災後の大正15年に東京市電20両を購入したのが最初です(201〜220号)。ですので、貨車を300番代の車番にしたのは、大正15年以降だと考えられます。鉄道統計上、函館の路面電車ではじめて貨車が登場するのは、1920〜1921年(大正9〜10年)です。

■重複している車番
また、よく見ると、大正15年の使用廃止届と昭和9年焼失届で車番が重複している部分があります。新川(新川橋)車庫火災(大正15年)で焼失したはずの11号車が、函館大火(昭和9年)でも焼失しているのは何故か?焼失して廃止したのに、どこかで復活したのか?新川車庫火災で焼失した11号車の台車は、たぶん100型に流用されたことでしょう(改番後の100型の車番まではわかりません。)。11号車が2度登場するのは、10型車の中で車番変更をしている為だと考えられます。詳細は後ほど書きます。

■新川車庫火災前
新川車庫火災前には、59両の車輌が存在していました。内訳は次のとおりです。
1〜25号(梅鉢鉄工所製の新車)
26〜30号(九州水力電気・博軌電車から購入の中古車)
31〜35号(東京市電から購入の中古車)
36〜40号(成田電気軌道から購入の中古車)
41〜46号(梅鉢鉄工所製の新車)
47〜52号(梅鉢鉄工所製のボギー新車)
53〜59号(東京市電から購入の中古車)

53〜59号については、鉄道ピクトリアル1977年2月号52ページの記事「日本の路面電車−震災から戦災まで(1)−(和久田康雄様)」の記事を参考にさせていただきました。

■新川車庫火災直後
1925年(大正15年)1月20日の火災により、29両の車輌が焼失します。この焼失数には諸説があって、函館市交通局発行の「市電50年のあゆみ」では30両(単車28両、ボギー車2両。他に貨物電車1両)、和久田康雄様の調査では29両(単車27両、ボギー車2両)、川上幸義氏の調査では28両(単車26両、ボギー車2両)焼失となっています。ここでは、「車輌使用廃止届」に記載された22両に、53〜59号の7両を加えた29両が焼失したものと扱っています。

■53〜59号の廃止届が出されなかった理由
「車輌使用廃止届」と同じ日に、大正14年6月に行った「増加届」の「取下願」が出されています。増加届そのものが無かったことになる為、廃止届から外されたと考えられます。書類不備ながらも、実際には走っていたのかどうか、そのへんは定かではありません。

取下願

 大正十四年六月四日付届出ノ電車々輌七臺ノ増加届書ハ書類不備二付訂正再提出致度候間一先ツ下ケ戻シ取下度此段願上候也

大正十五年四月十日

函館市末廣町四拾六番地
函館水電株式會社
取締役会長 藤 山 雷 太


■車庫火災後の車輌は30両

車庫火災後の在籍車輌は、30両になりました。これについては、次の増加申請からもわかります。

電車々輌増加使用認可申請

 弊社経営ノ電車運輸業ニ使用中ノ車輌不足ニ付今回東京市電氣局ヨリ從來使用中ノ車輌貳拾臺ヲ譲受ケ現在電車參拾臺ニ右貳拾臺ヲ加ヘ五拾臺ニ増加使用致度候間御認可相成度關係書類及圖面相添此段申請候也

大正十五年四月拾九日

函館市末廣町四拾六番地
函館水電株式會社
取締役会長 藤 山 雷 太

車輌が不足しているので、東京市電から20両を譲り受けて現在の30両に加えて合計50両にしたい旨が書かれています。この東京市電の中古車20両は、ヨヘシ型とよばれたタイプで屋根が2段式になっている明治生まれの古い車輌でした。東京市電気局との交渉は、当時、函館水電(株)の取締役だった山本源太氏が担当しました。山本氏は函館に来る前は東京市電気局に勤務していた時代もあって、交渉役にはうってつけだったのでしょう。この車輌は、函館では「ゲンタ車」と呼ばれ親しまれたようです。函館では201〜220号の車番になります。認可申請に添付されている車輌設計書によると、台車は「ブリル21」ではなく「ペックハム8−B」と記載されています。「市電50年のあゆみ」(函館市交通局)の年表によれば、「大正15年2月3日 東京市電から購入の中古電車20両のうち7両到着、13両は21日到着」と記載されています。
ちなみに函館大火後にも東京市電から45両を購入しますが、これらはヨヘロ型とよばれ、屋根の形や台車が異なっていました。山本源太氏は、昭和5年6月21日に行われた定時株主総会で退任が決まり、その後東京に戻ったので、函館大火後の45両を購入したのは、他の役員が担当しました。
鉄道雑誌には、函館大火後に東京市電から購入した45両を「ゲンタ車」と記載している場合がありますが、厳密には違います。ですが、山本源太氏が購入の担当をした20両を懐かしみ、45両も同様に「ゲンタ車」とよばれたのかもしれません。


■認可が遅れた大正15年製の101〜107号

東京市電から20両を買い付けるだけではなく、新車の購入もしています。20両の増加使用認可申請を提出した翌月に「客車増設届」が出されています。

客車増設届

 先般車庫失火ノ際焼失仕リ候車体ノ補充トシテ今囘大正八年十一月十九日附指令第九三四三號ヲ以テ使用認可相成候車体ト同一設計ノモノ七輌増設シ車臺ハ從來ノブリル二一E型ヲ使用スル事ニ致候間地方鐵道法施行規則第二十一條ニ依リ此段御届候也

大正十五年五月二十七日

函館市末廣町四拾六番地
函館水電株式會社
取締役会長 藤 山 雷 太

車庫火災の後、車番を整理する為に、新造車を100型、東京市電の中古車を200型、貨車は300型に分類するよう決めたと考えられます。101〜107号の認可が昭和3年1月ですので、昭和3年製のように誤解を招く場合もあるようですが、「市電50年のあゆみ」の年表にも書かれているように、1926年(大正15年)5月7日に7両の到着という記録が残っています。同書の年表には、「大正15年5月16日 堺市梅鉢鉄工所から到着の車体装備完了 105号車就役」とも書かれており、大正15年に既に就役していたのは明らかです。この7両は梅鉢鉄工所製の新車で、上記の「客車増設届」にも書かれているように、大正八年に同じ梅鉢鉄工所から購入した41〜46号と同一の構造であったことがわかります。


■ボギー車の焼失と復旧(47〜52号 → 50〜55号)

ボギー車47〜52号の内、車庫火災で48号と52号の2両を焼失します。「市電50年のあゆみ」25ページの記載によれば、「1両の車体は函館水電株式会社技術部工作係車庫で製作、1両は堺市梅鉢鉄工所に車体製作を発注し昭和2年5月就役したので再び新ボギー車6両は自慢の電車として活躍した。」とあります。その5行目下には「また堺市梅鉢鉄工所に発注の単車7両も5月下旬就役、ボギー車1両は昭和2年7月就役し大体災害前に復旧した。」とあります。2両の内、1両が5月、もう1両が7月の就役だったようですが、自社製が先か梅鉢製が先か、どちらにも解釈できる文書で難しいところです。就役は昭和2年ですが、認可は、昭和9年の車輌焼失届の記載からもわかるように、昭和4年1月19日になっています。
また、昭和9年の車輌焼失届から、函館大火直前のボギー車の車番は50〜53及び54、55号だったことがわかります。つまり車庫火災後に車番整理が行われたことになります。車庫火災で焼失を逃れた47、49、50、51号の4両が50〜53号に改番されました。ここで、47→50、49→51、50→52、51→53と変更したとする考え方もありますが、それよりも、50→50、51→51、47→52、49→53と変更したと考えるほうが自然です。本当にこの順番であったかどうかまでは確認できませんでした。その後、焼失した2両が復旧して54、55号と続きました。


■109〜112号(元41〜43、46号)

鉄道ピクトリアル誌1977年2月号の51ページ「日本の路面電車 −震災から戦災まで−」(和久田康雄様)には「車庫火災で29両(廃車届は22両)を焼損し、のち一部は復活した。残存車の一部は41〜46(2両欠)が109〜112、47〜52(2両欠)が50〜53と改番された。」と記載されています。41〜46号の中で車庫火災で焼失したのは44と45号の2両です。ですので、41〜43、46の4両が109〜112号に改番されたことになります。これも41→109、42→110、43→111、46→112と変更したかどうかまでは、確認できません。ですが、このように改番したと考えるのが自然だと思います。大正8年に認可された41〜46号は、梅鉢鉄工所で製作された新車でしたが、これは大正15年の客車増設届にもあるように、101〜107号と同じ設計でした。同じ車体構造なので、火災後の車番整理としてこの番号に改番されたようです。同じ梅鉢鉄工所で作られた1〜25号は車体構造が異なる為10型車の番号のままで改番されなかったと考えられます。1〜25号は車体側面の腰板が台車付近で、すぼめられています。41〜46号は、101〜107号と同様に側面の腰板が台車の付近であっても直線的で最後まで地面に対して垂直の構造でした。


■113〜130、132、133号(元東京市電・ヨヘシ 251型)

「日本の路面電車 −震災から戦災まで−」の54ページに東京市電から購入した113〜130、132、133号のことが記載されています。認可は1927年(昭和2年)6月18日になっています。これら20両の車輌は、函館に来た当初は前述のとおり201〜220号の車番でした。2段屋根のヨヘシ型の姿の206、209号の絵葉書や、205号の写真(「走りました80年」−函館停留場前から亀田へ−)が残されています。梅鉢鉄工所製の101〜107号、109〜112号を参考にして、函館水電の自社工場で車体更新をしてから100型に改番されたと考えられます。「最新電動客車明細表及形式図集」(昭和5年)には、118号が昭和3年12月の製作であることが書かれています。函館水電(株)の昭和七年上半期 「第五拾貳回事業報告書」  (自 六年十二月〜至 昭和七年五月)には建設費明細表の中で、この20両を含め21両の車体改造のことが書かれています。

建設費明細表附表 車体改造費内譯 備考

 (1)本車輌ハ上部ノミヲ改造シタルモノニシテ下部ノ車軸
    電動機等ハ其儘使用セリ

 (2)舊建設費ノ廉ナルハ内20台大正十五年東京市ヨリ
    拂下ヲ受ケタルモノナルニヨル

 (3)舊車太解体費用ハ別ニ営業費支辨トセリ


この年の事業報告書に建設費として計上されたということは、20両の車体更新が終わり、費用が確定したのがこの年だったからだと思われます。また、134〜140号の製作(車体更新)が昭和5年〜6年に行われていることを考えると、昭和2年〜5年の間に順次車体更新を行ったのではないかと思います。これも201→113、202→114...のように、この順番で番号を変更したかどうかまではわかりません。


■134〜140号

「車輌竣功届」が昭和7年1月18日付で提出されています。また、鉄道ピクトリアル誌1977年4月号の99ページ「日本の路面電車 −震災から戦災まで−」には、134〜140号が1930(昭和5年)〜1931年(昭和6年)に製造され、1932年4月6日に認可を受けたことが書かれています。函館水電(株)の昭和六年下半期 「第五拾壹回事業報告書」 (自 昭和六年六月〜至 昭和六年十一月)には、「建設費明細表」の中で「客車(四輪車)7台新造」と記載されています。車番は書かれていませんが、134〜140号のことであると考えられます。10型車の台車を流用して製作したようですが、旧車番は不明です。
車体更新の費用計上が、134〜140号分が先で113〜130、132、133号分が半年後になっているのですが、この辺の経緯はわかりません。


■108号と131号

昭和7年10月28日の「四輪電動客車増加届」によるもので、

地方鐵道法施行規則第二十一條(軌道法施行規則第二十七條準用)第一項第一号ニヨル届出、本年四月六日附監第八○九号認可ト同一設計ノ四輪電動車(客車)二両増加

とあります。昭和7年4月6日の認可とは134〜140号のことです。
前述のとおり、昭和七年上半期 「第五拾貳回事業報告書」  (自 六年十二月〜至 昭和七年五月)には建設費明細表の中で、東京市電から購入の20両の他、もう1両を含め21両の車体改造のことが書かれています。この1両は車番から考えて131号のことでしょう。108号は車番から考えて109号よりも先に竣功していたはずです。当時の「地方鉄道施行規則」には、次のように規定されています。

地方鐵道法施行規則
第二十條
車輌ニ關シテハ其ノ製作又ハ購入前設計ヲ定メ左ノ事項ヲ記載シ監督官廳ノ認可ヲ受クヘシ但シ政府ノ鐵道所属ノ車輌又ハ既認可ノ車輌ニシテ改造ヲ加ヘサルモノヲ購入スル場合ニ於テハ前使用者名舊形式稱號及番號ヲ記載シ左ノ事項ノ記載ヲ省略スルコトヲ得

第二十一條
前條ノ規定ニ依リ認可ヲ受ケタル後車輌ノ設計ヲ變更セムトスルトキハ新舊ヲ對照シ其ノ理由及圖面ヲ具シ監督官廳ノ認可ヲ受クヘシ但シ左ニ掲クルモノハ其ノ理由ヲ具シ之ヲ届出ツヘシ
一 認可ヲ受ケタル設計ト同一設計ニ依ル車輌ノ増加及改造

つまり108号と131号は134〜140号と同様の設計による車体更新をしているので、届出が必要だったのです。増加届を出し忘れていた為に指摘を受けて、遅れて提出されたものと考えられます。
どちらも10型車の車体更新と思われますが、旧車番は不明です。


■21〜24号の改番

この4両の改番に関しては、どこの文献にも記述が残っていません。
ですが、改番したことはほぼ間違いないと考えます。

●理由
・21〜24号に関しては、車庫火災後に廃止届が出されていない。函館大火の焼失届でも届出が無い。なのに、函館大火で焼失しなかった車輌には21〜24号の車番は存在しない。

・7、9、12号は車庫火災で焼失し廃止されているのに、函館大火では焼失せずに残ったことになっている。

・11号は車庫火災で焼失して廃止されているのに、函館大火でも焼失したことになっている。

大正2年に梅鉢鉄工所で作られた1〜25号の内、車庫火災で焼失せずに残ったのは、3〜6、8、10、13〜19、21〜24号の17両でした。1、2、7、9、11、12、20、25号の8両が焼失し廃止されています。
そこで、車庫火災後に車番整理が行われて、7、9、11、12の空番を補充することで3〜19迄の連番にしたのだと考えられます。その補充に使われたのが21〜24号です。このように考えると、つじつまがあいます。


■推移の図表

下記は、車庫火災前から函館大火直後までを推移を調べるために表にしたものです。函館大火後に東京市電から購入した45両(201〜245号)のヨヘロ型については記載していません。

    は焼失、   は購入、   は更新・再生、   は改番の意味です。

大火直後に残っていた車輌の内訳は次のとおりでした。
3、7、9、12、13、15(大正2年 梅鉢鉄工所製新車)
29(大正4年 九州水力電気・博軌電車から購入の中古車)
39(大正7年 成田電気軌道から購入の中古車)
104、105(大正15年 梅鉢鉄工所製新車)
118、120、123、128、132(大正15年 東京市電から購入。100型へ車体更新した車輌)
140(焼失した10型車の台車等を流用し100型として再生した車輌)

下図の中で残っているのは除雪車から復元された39号だけです。函館大火後に購入されたヨヘロ車で残っているのは雪3号(元244号)と雪4号(元245号)の2両だけです。梅鉢鉄工所の車輌を参考にして函館水電(株)の技術を結集した、はじめての自社製造車の100型が1両も残されていないのは、とても残念なことです。
せめて、東京市電から購入した雪3号と雪4号はいつまでも大切に残って欲しいと願っています。
                                                                                    
車庫
火災前
車庫
火災後
(T15)
増加 再生 改番 再生 更新
改番
再生 大火
直前
函館
大火
(S9)
改番
1 ×              
2 ×                
3 3             3 3 11
4 4             4 ×  
5 5             5 ×  
6 6             6 ×  
7 ×                
8 8             8 ×  
9 ×                
10 10             10 ×  
11 ×                
12 ×                
13 13             13 13 13
14 14             14 ×  
15 15             15 15 15
16 16             16 ×  
17 17             17 ×  
18 18             18 ×  
19 19             19 ×  
20 ×                
21 21     7       7 7 14
22 22     9       9 9 16
23 23     11       11 ×  
24 24     12       12 12 12
25 ×                
26 ×                
27 ×                
28 ×                
29 29             29 29 29
30 30             30 ×  
31 ×                
32 ×                
33 ×                
34 ×                
35 ×                
36 36             36 ×  
37 ×                
38 38             38 ×  
39 39             39 39 39
40 ×                
- - 101           101 ×  
- - 102           102 ×  
- - 103           103 ×  
- - 104           104 104 101
- - 105           105 105 102
- - 106           106 ×  
- - 107           107 ×  
- - - 108         108 ×  
41 41     109       109 ×  
42 42     110       110 ×  
43 43     111       111 ×  
44 ×                
45 ×                
46 46     112       112 ×  
47 47     52       52 ×  
48 ×       54     54 ×  
49 49     53       53 ×  
50 50             50 ×  
51 51             51 ×  
52 ×       55     55 ×  
53 ×                
54 ×                
55 ×                
56 ×                
57 ×                
58 ×                
59 ×                
- - 201       113   113 ×  
- - 202       114   114 ×  
- - 203       115   115 ×  
- - 204       116   116 ×  
- - 205       117   117 ×  
- - 206       118   118 118 103
- - 207       119   119 ×  
- - 208       120   120 120 104
- - 209       121   121 ×  
- - 210       122   122 ×  
- - 211       123   123 123 105
- - 212       124   124 ×  
- - 213       125   125 ×  
- - 214       126   126 ×  
- - 215       127   127 ×  
- - 216       128   128 128 106
- - 217       129   129 ×  
- - 218       130   130 ×  
- - -       - 131 131 ×  
- - 219       132   132 132 107
- - 220       133   133 ×  
- - -       - 134 134 ×  
- - -       - 135 135 ×  
- - -       - 136 136 ×  
- - -       - 137 137 ×  
- - -       - 138 138 ×  
- - -       - 139 139 ×  
- - -       - 140 140 140 108

■参考資料
 ●『車輌使用廢止届』(大正15年 函館水電株式會社)
 ●『車輌焼失届』(昭和9年 函館水電株式會社)
 ●『取下願』(大正十五年四月十日 函館水電株式會社)
 ●『電車々輌増加使用認可申請』(大正十五年四月拾九日 函館水電株式會社)
 ●『客車増設届』(大正十五年五月二十七日 函館水電株式會社)
 ●鉄道ピクトリアル誌1977年1月号〜6月号連載
  『日本の路面電車 −震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
 ●『市電50年のあゆみ』(函館市交通局)
 ●『走りました80年』(函館市交通局)
 ●『最新電動客車明細表及形式図集』
  (昭和5年12月20日 社團法人電氣協會關東支部)
 ●昭和六年下半期『第五拾壹回事業報告書』
  (自 昭和六年六月〜至 昭和六年十一月 函館水電株式會社)
 ●昭和七年上半期 『第五拾貳回事業報告書』
  (自 六年十二月〜至 昭和七年五月    函館水電株式會社)


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(2003年6月29日掲載)


 

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