犬飼 誠人 様のご好意により、
平成7(1995)年8月に撮影された、大変貴重な写真の掲載許可を頂戴いたしました。
ここでご紹介する写真の著作権は、犬飼様がお持ちになっています。
どれも、現在では撮影不可能な貴重な写真です。
貴重な写真を後世に残し、そして掲載の許可をくださったことに対し、 厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。
|
|
|
【1】函館市文学館(旧第一銀行函館支店)前を走る湯の川行の809号です。
809号がJRA(日本中央競馬会)の広告車両だった当時の貴重な写真です。
809号は、平成9(1997)年に8008号へ車体更新されています。
|
|
|
【2】函館どつく停留場に停車中の湯の川行3003号です。
3003号は、平成7(1995)年3月に就役した車両です。撮影当時は、まだ新車の状態でした。
公募により「マリンブルー号」の愛称が付けられていましたが、
その後、広告車両に変わり、この塗装は、残されていません。
|
|
|
【3】函館どつく停留場に停車中の716号です。
716号がタウンページの広告車両だった当時の貴重な写真です。
2018年現在は、「「函館市競輪事業部(函館けいりん)」の広告車両になっています。
|
|
|
【4】相馬株式会社前を走る函館どつく行の721号です。
721号がコカ・コーラの広告車両だった当時の貴重な写真です。
2018年現在は、「函館市市民部国保年金課」の広告車両になっています。
|
|
|
【5】末広町の停留場に停車中の五稜郭公園前行「箱館ハイカラ號」(39号)です。
ササラ電車の雪2号(排雪車・排2号)から客車へ復元されて走り始めたのは、
平成5(1993)年8月2日でした。撮影当時は、復元されて2年ほど経過した頃のものです。
|
|
車番 |
製造年 |
製造メーカー |
備 考 |
809号 |
1963年 (昭和38年) |
株式会社 新潟鐵工所 |
昭和38年3月1日、函館市電809号として認可を受けました。
昭和38年(1963)4月、株式会社新潟鐵工所で製造されました。
昭和43年(1968)5月ワンマンカー改造が行われました。
昭和45年(1970)10月暖房設備が取り付けられました。
平成9年(1997)アルナ工機(株)で車体更新を受け、 3月26日より8008号として運転を開始しました。
|
3003号 |
1995年 (平成7年) |
アルナ工機 株式会社 |
平成7年(1995)3月、アルナ工機(株)で製造され、 3月31日より運転を開始しました。
|
716号 |
1960年 (昭和35年) |
株式会社 新潟鐵工所 |
昭和35年(1960)5月、株式会社新潟鐵工所で製造されました。
昭和35年5月25日、函館市電716号として認可を受けました。
昭和43年(1968)10月ワンマンカー改造が行われました。
昭和45年(1970)10月暖房設備が取り付けられました。
|
721号 |
1961年 (昭和36年) |
株式会社 新潟鐵工所 |
昭和36年(1961)7月10日、函館市電721号として認可を受けました。
昭和36年(1961)10月、株式会社新潟鐵工所で製造されました。
昭和43年(1968)10月ワンマンカー改造が行われました。
昭和45年(1970)10月暖房設備が取り付けられました。
|
39号 |
1910年 (明治43年) |
天野工場 |
明治43年(1910)、天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で 製造されました。
明治43年(1910)12月、千葉県成田市の成宗電気軌道(株)で、 運転を開始しました。
大正7年(1918)に、当時、路面電車を運営していた函館水電(株)は、 成田電気軌道(株)(旧成宗電気軌道)より、5両の客車を購入しました。
その5両は、函館では、36号〜40号の車番になりました。
大正15年(1926)1月20日の新川車庫火災で、37号と40号が焼失。
昭和9年(1934)3月21日の函館大火で、36号と38号が焼失。
成田電気軌道(株)から購入した5両の中では、39号だけが残りました。
昭和12年(1937)に、ササラ式(ブルーム式)除雪車に改造されました。
このときから、客車ではなく、雪2号(排雪車・排2号)となりました。
平成5年(1993)路面電車開業80周年、市営交通発足50周年の
記念すべき年に客車へ復元されました。
平成5年(1993)8月2日より「箱館ハイカラ號」として運転を開始しました。
|
■参考資料
●『車輌使用廢止届』(大正15年 函館水電株式會社)
●『車輌焼失届』(昭和9年 函館水電株式會社) 他
■関連記事
●車両の推移2
●車両の推移
|
(2018年11月27日掲載)
写真館へ戻る |
|
|
|
|
|
|