絵葉書[5]
大正・昭和初期  市立函館図書館所蔵

【14】凾館の商業地として中心をなす十字街附近 
津軽要塞司令部許可
函館図書館所蔵 エ-A-22

これも【13】と同様、『北海道に繁栄を誇る「函館のすがた」』という絵葉書セットの中の1枚です。手前が遠ざかる17号、右側の遠くからこちらに向かってくるのが【13】の中でも登場した122号です。どちらの車両も、車番の左側に何か宣伝なのか、垂幕のようなものをつけているのですが、残念ながら拡大しても判読できませんでした。
17号車は122号車と同様に、昭和9年(1934年)3月21日の函館大火で焼失しています。
左の大きな建物は、丸井今井デパートです。屋上にデパートの旗がたなびいています。


【15】地蔵町Jidocho Street,Hakodate.(凾館市街)
2,8,12津軽要塞司令部検閲済
函館図書館所蔵 エ-A-19

これは、『北日本代表港湾都市・凾館の市街 HAKODATE STREET IN HOKKAIDO』という絵葉書セットの中の1枚です。
昭和2年8月12日に、津軽要塞司令部の検閲を受けていることが記載されています。
写っているのは103号です。103号車は、大正15年に堺市の梅鉢工場(梅鉢鉄工所)から新車で購入した7両の中の1両です。大正15年(1925年)1月20日の新川車庫火災で車両を消失した関係で、その補充の為に購入されたもので、大正15年5月27日付で「客車増設届」が提出されています。ですがこの103号も、昭和9年(1934年)3月21日の函館大火で焼失しています。火災で消失した車両の補充の為に購入された車両でありながら、自らも火災で焼失する運命をたどったわけです。
左側の円形ドームの建物は、「北海道銀行地蔵町支店」です。
地蔵町というのは、現存しない地名です。現在でいうところの豊川町と大手町の中間あたりにあった町のようですが、どちらの町に吸収されたのかは存じておりません。現在の電停の名前で説明すると、魚市場通方面から十字街方面へ向かうべく、103号がこちらへ近づいてきているところだと思われます。いずれにせよ、カラーの貴重な絵葉書であると思います。



【16】(凾館市街)十字街附近 Near Cross Avenue,Hakodate.
2,8,12津軽要塞司令部許可
函館図書館所蔵 エ-A-19

これも、【15】と同じ絵葉書セットの中の1枚です。【6】とほぼ同じ場所ですが、【6】とは異なるビルの屋上からの撮影のようです。
車番は、はっきりとは見えませんが、203、若しくは208号車、後方は4号車のように見えます。
この絵葉書の発行許可は、昭和2年8月12日です。昭和2年の段階で「200型」が函館にあったのかというと、実はありました。200番代の車番をつけて走っていた時代は、昭和9年以降だけではないのです。

【旧200型】大正15年(1926年)の新川車庫火災後、車輌を補充するために函館水電の山本源太常務取締役が東京市電より購入したヨヘシ型車両20両。この20両は、大正15年に梅鉢鉄工所から購入した新車101〜107号を参考にして、後に、函館水電により車体更新が行われ、100型(113〜130,132,133号)へ変更されています。

【200型】函館大火の後、昭和9年〜11年にかけて、東京市電から購入したヨヘロ型車両45両。

この絵葉書で手前に写っている車両は、旧200型になります。
旧200型の車両の絵葉書については、「旧200型」や「100型・200型の考察 」のページでも、ご紹介しています。

絵葉書[5]

(2004年12月30日掲載)




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