100型・200型の考察
200型  函館大火(昭和9年)前にもあった200型

函館市電の200型の誕生は、函館大火(昭和9年)の後に、東京市電から購入した新1型(ヨヘロ型)45両に始まる...当初はこのように解釈していました。
しかし、その後の調査で、屋根の形から明らかにヨヘロ型ではない、ヨヘシ型の屋根の形をした200型の写真が見つかりました。その後の調査というよりも、私が見落とししていたというのが正しい表現ですが(汗。

●「走りました80年」(函館市交通局)108ページに掲載されている205号の写真

これには、205号と、30号(後の雪1号)の2両が写されています。
写真の説明としては「函館停留場から亀田へ(大正10年代)」と記されています。
この205号の屋根の形をみて、驚いてしまいました。ヨヘロ型ではないのです(滝汗。これは、ヨヘシ型、若しくはヨヘシ型と同様の屋根の形をしています。

●「絵葉書に残された地方都市び路面電車」
   −「鉄道ピクトリアル(1994年7月臨時増刊)」
  No.593)の49ページに掲載されている「末広町を走行中の209号」の絵葉書

(雪の凾館) 末廣町の西部 (津軽要塞司令部許可)
白土貞夫様所蔵の絵葉書−許可を得て掲載


この絵葉書で使われている写真の撮影年は、定かではありませんが、「津軽要塞司令部許可」の文字が書かれています。「函館要塞」が「津軽要塞」に改められたのは昭和2年ですので、この絵葉書は昭和2年以降に発行されたもののようです。残念ながら、写真の撮影年がわからないのですが、この写真の中の209号も屋根の形はヨヘロ型ではなくヨヘシ型です。

2つものヨヘロとは異なる200型の写真が見つかった以上、200型の誕生が昭和9年以降はじめてであるかのごとくの記載は、訂正しなければならないと考えました(汗。

では、いつから200型が走り始めたのか?...今までの入手できた資料を整理してみることにしました。以下は、本からの抜粋若しくは要約と、私の考察です。

●『函館市電』(川上幸義氏)
    −「もはゆに」誌No.7( 1948年12月)...東京鉄道同好会の会報
「これは、大正14年の事で爾来此車を「ゲンタ車」と称している。此最初のゲンタ車は201〜207(旧429,437,458,556,584,624外)」となり59輌が揃った。」

後の1954年のピクトリアル誌No.32の中では、この7両について53〜59号と記述されています。
車庫火災の後に、201〜207号に改番された可能性もありますが、和久田様の調査では、1926年に「廃車届」が出ていますので、焼失してしまったと考えられます(後に再生された可能性は有ります)。ですが、再生車の場合は、梅鉢車の設計思想を受け継いでいますので、再生後はヨヘシ型のような屋根の形にはなりません。

●『函館市電』(川上幸義氏)
    −「鉄道ピクトリアル誌No.32( 1954年3月)」
 「火災後(注1)改番をしたヨヘロ(注2)は全部201以降に整理され、ボギー車は501以降になった。そして焼失車の再生、半焼車の改良を昭和3〜7年に函館水電工場(新川橋車庫内)で行い、且つ古台車で有蓋・無蓋電動貨車を1両宛製造した。半焼車は元の番号へ復したが、再生車には梅鉢に昭和3年(注3)注文した101〜107の7両の後を追い、108とし設計も踏襲(とうしゅう)した。」

(注1)...新川橋車庫火災(大正15年)の事
(注2)...このときの購入車はヨヘロ型ではなくヨヘシ型と考えられる。
(注3)...昭和3年ではなく、正しくは大正15年と思われる。

●『日本の路面電車−震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
   −「鉄道ピクトリアル」誌No.329〜336(1977年1月〜7月)の連載記事」
 
大正14年に購入の7両は、東京市電の251型で、函館市電では53〜59号の車番。ただし、翌年に廃車届
新川橋車庫火災後に東京市電から購入した車輌251型については、函館市電では113〜130、132、133号の車番。


私は混乱してしまいました...(汗。
いったい、ヨヘシ型の屋根の200型は、
どのようにして函館市電で誕生したのか...。
すぐには、理解できなかったのです...。
そこで、100型の40両について、今までに知りえた情報を整理してみることにしたのです。

「200型」というからには10型からいきなり100型をスキップして200型が誕生するのも不自然ですし、きっと「100型」よりも後、若しくは100型とほぼ同時期に誕生した型式と思えたからです。ですから、まず100型について、自分の考えを整理したほうがいいと思ったのです。

車両番号 車輌の説明 大火後改番 製造年・更新年等
101 梅鉢鉄工所から購入 焼失 大正15年梅鉢鉄工所
102
103
104 101
105 102
106 焼失
107
108 自社再生車 昭和7年10月8日認可
109 元10型・梅鉢車 元41〜46号の中の4両
110
111
112
113 元東京市電251型 大正15年購入
114
115
116
117
118 103 昭和3年函館水電
119 焼失 大正15年購入
120 104 昭和3年函館水電
121 焼失 大正15年購入
122
123 105 昭和3年函館水電
124 焼失 大正15年購入
125
126
127
128 106 昭和3年函館水電
129 焼失 大正15年購入
130
131 自社再生車 昭和7年10月8日認可
132 元東京市電251型 107 昭和3年函館水電
133 焼失 大正15年購入
134 自社再生車 昭和7年4月6日認可
135
136
137
138
139
140 108 昭和3年函館水電

川上氏の調査によれば、函館大火後に残った100型8両で、104、105号は大正15年梅鉢製、それ以外は昭和3年函館水電製となっています。

この表から「元東京市電251型」の20両を200型であるとして除いてしまうと、100型は20両しか残りません。
その20両を仮に改番してみると、101〜120号に集約できますが、これでは132号や140号が生き残った史実と一致しませんので、このような改番はされなかったと考えられます。
140号が函館大火でも無事だったということは、欠番があったかもしれませんが、100型が少なくとも140号まであったことを意味します。

また、「元東京市電251型」の20両を200型と考えて除いてしまうと、104,105,140号の他に118,120,123,128,132の5両が生き残ったことが、うまく説明できません(汗。

さらには
●「市電50年のあゆみ」(函館市交通局)の27ページに掲載されている写真
 昭和6年十字街の125号と129号の写真

これを見て、ますます混乱していまいました。
そこには、梅鉢型、あるいはその設計思想を継承した自社再生車の
屋根の形の車輌が記録されているのです。
上の表では元東京市電251型でヨヘシの屋根の形のはずなのですが
...(汗。

ヨヘシ型の屋根の200型の写真...
  ヨヘロ型ではない200型が存在したとは...しかも函館大火の前に...
125号や129号は、元東京市電ヨヘシ型のはず...
  ところが自社再生車の姿の写真...
数日間、考えがまとまりませんでした...(汗。


そして、数日かけて自分なりに出した推測です。

●100型...101号〜140号  新川車庫火災後に購入の梅鉢車と、
        梅鉢車の設計思想を取り入れた自社再生・自社更新車輌。

        新川橋火災後、大正15年に東京市電から購入した20両は、
        鉄道省(現在の国土交通省)には100型で届出をしたが、
        実車番号は200型であった。その後、車体更新が自社工場内で
        行われ梅鉢型の設計を取り入れて屋根の形も改められ、車番も
        届出どおり100型の番号に改番された。
        →113〜130,132,133号

●200型...第1次200型
        新川橋車庫火災後、
        大正15年に東京市電から購入した20両(ヨヘシ型)。
        201〜220号の車番であったと思われる。
        昭和3年より、自社工場で車体更新が行われ梅鉢型の車体に
        変更され、車番も当初の届出どおり100型の番号に改番された。
        →113〜130,132,133号

        第2次200型
        201〜245号 函館大火後に購入の東京市電 新1型(ヨヘロ型)



ということで、ヨヘシ型の屋根の200型の写真は、車体更新前のもの(大正15年〜昭和3年頃)に撮影されたものであると推定いたしました。

昭和6年の125号や129号は、元東京市電のヨヘシ型でしたが、車体更新を受けて、自社再生型の車輌に生まれ変わっていたのだと考えました。

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(2001年12月5日/2002年1月6日一部改定)

 

209号車の写真の掲載につきましては、白土貞夫様のご好意により、所蔵されている絵葉書を使用させていただきました。
白土様は「鉄道友の会」の監事をされており、鉄道関係に大変お詳しい方です。
函館市電と関係の深い「成宗電気軌道(成田電気軌道)」についても、記事を書かれていらっしゃいます。

『成田市史研究』24号(平成13年3月)
−『千葉県下を最初に走った成宗電気軌道の電車』


許可をくださった、白土様に御礼申し上げます。
ありがとうございます。(2002年1月6日)
 

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