横浜市電保存館[4]
横 浜 保存車両  2006年(平成18年)1月、3月

斎藤様のご好意で、横浜市電廃止前の写真と、リニューアル後の横浜市電館の写真を掲載させていただくことができました。

大変貴重な写真をご提供くださり、ありがとうございます。

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横浜市電最終日を迎えた滝頭の車庫
1972年(昭和47年)3月31日、横浜市電最終日を迎えた滝頭の車庫。
左から1401号、1508号、1169号。



横浜市電最終日を迎えた滝頭の車庫
1972年(昭和47年)3月31日、横浜市電最終日。桜木町付近を走る1518号。



横浜市電保存館
リニューアル後の横浜市電保存館。保存車両1104号。



横浜市電保存館、1510号
リニューアル後の横浜市電保存館。保存車両1510号。塗装色が変わりました。



横浜市電保存館、1601号、1311号
リニューアル後の横浜市電保存館。保存車両1601号、1311号。
1311号は塗装色が変わりました。



横浜市電保存館、1104号
 
 内藤様より、
 2015年3月に撮影された
 1104号の写真を
 お送りいただきました。

 (2015年3月20日掲載)




型式 製造年 備 考
1400型 1949年
(昭和24年)
木南(きなみ)車輛製造で10両製造されました。
ワンマンカーには、改造されなかったようです。
現存車両はありません。
1150型 1952年
〜1959年
(昭和27年)
〜(昭和34年)
宇都宮車輛、ナニワ工機、交通局の自社工場で22両製造されました
(1151〜1172号)。久良岐公園に保存されている1156号は、
1952年(昭和27年)7月にナニワ工機で完成したものです。
800型の部品を流用して作られました。
車番 製造年 備 考
523号 1928年
(昭和3年)
横浜市電を代表する高馬力の大型単車です。昭和44年廃車。
500型は、昭和3年に、東京ガス、蒲田車両、雨宮製作所で60両が作られました(500〜599号)。
戦後に15両が600型に改造されています。
1007号 1928年
(昭和3年)
横浜市電では、初めて誕生したボギー車両です。
馬力は小さかった為、もっぱら平坦な路線で使用されました。
1969年(昭和44年)廃車。1000型は、20両が作られました(1000〜1019号)。
1104号 1936年
(昭和11年)
1100型は5両製造されました(1101〜1105号)。中型のボギー車です。
クロスシートを備えていて、「ロマンスカー」とも呼ばれていました。
1967年(昭和42年)にワンマンカーに改造され、
市電が廃止になる1972年(昭和47年)3月末まで活躍しました。
1311号 1947年
(昭和22年)
1300型は、汽車会社で30両製造されました。
当初は3000型とされましたが、翌年に1300型に改番されました。
車体が軽く、かつ、高馬力な車両で、坂道の多い系統で使用されました。
1971年(昭和46年)廃車。
1510号 1951年
(昭和26年)
PCCカー。日立製作所で20両製造されました。
間接制御器を使用していましたが、1967年(昭和42年)のワンマン化に伴い、
直接制御器へ取り替えられました。市電が廃止になるまで活躍しました。
1601号 1957年
(平成32年)
横浜市電最後の新造車でした。交通局滝頭(たきがしら)工場で、
1957年(昭和32年)に6両製造されました。バスと同様にした乗降扉の配置が、
あまり使いよく思われなかったようで、ワンマンカー改造されることもなく、
1970年(昭和45年)に全て廃車となりました。
無蓋貨車10号 1914年
(大正3年)
横浜の路面電車が横浜市電になったのは、1921年(大正10年)のことでした。
それまでは、横浜電気鉄道が運営していました。
横浜の路面電車で、貨車がはじめて誕生したのは、1913年(大正2年)のことでした。
当初は、キリンビールを運ぶのが、目的で作られたそうです。
みなと祭りでは、花電車としても使用されていました。
無蓋貨車10号は、レールや敷石などの補修資材の運搬に使われていました。


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(2014年9月20日掲載)


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