ササラ電車の里帰り
マスコミ報道 2010年11月  11月22日 産経ニュース

産経ニュースが、ササラ電車の里帰りについて報道しました。

都電最古の車両 77年ぶり里帰り 100周年の目玉 ファン心待ち
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101122/trd1011220131000-n1.htm


報道していただいたのは、とても嬉しいです。
ですが記事にいくつか歴史誤認の部分があるので、指摘しておきます。


函館の路面電車関係の資料ですが、
「国立公文書館」に「購入東京車主要改修一覧表」という資料が残されています。
これは、昭和10年に、当時、函館で路面電車を運営していた帝国電力株式會社が
作成したものです。

この記録によれば、除雪車(排雪車)の雪3号(排3号)は
東京市電気局時代の車番は35号であり、大正9年に堺市の梅鉢鉄工所で
車体更新されていることがわかります。

同様に、除雪車(排雪車)の雪4号(排4号)は
東京市電気局時代の車番は11号であり、大正9年に市電浜松工場で
車体更新されていることがわかります。

また、昭和9年の函館大火後、東京市電気局から買い付けた車両は
全部で45両になります。ですが、一度に45両まとめて購入したわけではなく、
5回に分けて購入しています。この2両は第5回目の購入分になります。
購入したのは、1935(昭和10年)です。1934(昭和9)年ではありません。

参考記事『東京の車番で運転』
http://wakouji.sakura.ne.jp/hakodate/200kaisyu.htm


この2両が客車から除雪車(排雪車)に改造されたのは、
1937(昭和12)年でした。

参考記事『除雪車一覧』
http://wakouji.sakura.ne.jp/hakodate/yuki-ichiran.htm


それらをふまえて記事の訂正をしますと次のようになります。

(誤)77年ぶり里帰り

(正)76年ぶり里帰り

この2両が函館に来たのは、1934(昭和9)年ではなく1935(昭和10)年です。
2011年に里帰りすると76年ぶりの東京となります。


(誤)昭和9年に東京市電気局(現・東京都交通局)が函館市電に譲渡

(正)昭和10年に東京市電気局(現・東京都交通局)が函館市電に譲渡

昭和9年に譲渡された車両は35両、翌年に譲渡されたのが10両で、
全部で45両です。この2両は何れも昭和10年に譲渡されたものです。



(誤)東京鉄道KK(明治39〜44年)のころから

(正)東京市街鉄道及び東京電車鉄道のころから

雪3号のほうは、東京市街鉄道→東京鉄道→東京市電気局
雪4号のほうは、東京電車鉄道→東京鉄道→東京市電気局

という経歴になっています。東京鉄道からスタートしたように
誤解をまねいてしまう書き方です。



(誤)東京市電気局から都内を走っていた同車両25両を購入。

(正)東京市電気局から東京市内を走っていた同車両45両を購入。

5回に分けて全部で45両を購入しました。25両ではありません。
東京が、東京市から東京都に変わったのは昭和18年です。
譲り受けた昭和9年及び10年当時は、まだ「東京市」でした。


(誤)このうち、12年には6両がササラ電車に改造されたが、

(正)このうち、12年には2両がササラ電車に改造されたが、

ササラ電車の内訳は

九州水力電気から購入した車両1両→昭和11年ササラ電車に改造(雪1号)→廃車
成田電気軌道から購入した車両1両→昭和11年ササラ電車に改造(雪2号)→箱館ハイカラ號

東京市電気局から購入した車両2両→昭和12年ササラ電車に改造(雪3号、4号)

東京市電気局から購入した車両2両→昭和15年ササラ電車に改造(雪5号、6号)→廃車

です。

東京市電気局から購入した車両25両の内6両がササラ電車に改造された旨の書き方は
史実と相違しています。



かつては、6両のササラ電車が在籍していました。

車番 略 歴
雪1 元・九州水力電気(博多電気軌道)→函館水電29号→函館市電・雪1号→1997年廃車
雪2 元・成田電気軌道→函館水電39号→函館市電・雪2号→1993年復元・箱館ハイカラ號
雪3 元・東京市電520号→東京市電35号→帝國電力(函館)244号→函館市電・雪3号
雪4 元・東京市電128号→東京市電11号→帝國電力(函館)245号→函館市電・雪4号
雪5 元・東京市電130号→東京市電12号→帝國電力(函館)242号→函館市電・雪5号→2003年廃車
雪6 元・東京市電630号→東京市電32号→帝國電力(函館)243号→函館市電・雪6号→1997年廃車


ササラ電車の現存車は雪3、雪4号の2両のみとなりました。


除雪車雪3号(排雪車排3号)2003年8月 撮影:高橋誠二様

除雪車雪3号(排雪車 排3号)の略歴
・明治36〜38(1903〜1905)年頃製作(大塚工場、或いは天野工場?)
・東京市街鉄道、東京鉄道で活躍
・明治44年(1911)8月1日東京鉄道が東京市電気局に買収され東京市電520号(ヨシ型)となる
・大正9年(1920)梅鉢鉄工所で「ヨヘロ型」へ改造
・大正14年(1925)関東大震災後の改番により、東京市電 35号となる
・昭和9年(1934)の函館大火後、函館水電(株)は東京市電気局より45両の電車を購入
・東京市電35号は函館の帝國電力(株)244号となり、昭和10年6月29日より運転を開始する
・昭和12年(1937)(4月24日届出)ササラ式(ブルーム式)除雪車に改造
・改造後雪3号(排3号)となり、函館市電になった後も活躍を続け今日に至る


除雪車雪4号(排雪車排4号)2003年8月 撮影:高橋誠二様

除雪車雪4号(排雪車 排4号)の略歴
・明治36〜37年頃製作(日本車輌、天野工場、或いは自社工場?)
・東京電車鉄道、東京鉄道で活躍
・明治44年(1911)8月1日東京鉄道が東京市電気局に買収され東京市電128号(ヨト型)となる
・大正9年(1920)市電浜松工場で「ヨヘロ型」へ改造
・大正14年(1925)関東大震災後の改番により、東京市電 11号となる
・昭和9年(1934)の函館大火後、函館水電(株)は東京市電気局より45両の電車を購入
・東京市電11号は函館の帝國電力(株)245号となり、昭和10年6月30日より運転を開始する
・昭和12年(1937)(4月24日届出)ササラ式(ブルーム式)除雪車に改造
・改造後雪4号(排4号)となり、函館市電になった後も活躍を続け今日に至る



このサイトを訪れて、どれだけの方がこの記事を読んでくださるかわかりませんが、
先人に敬意を表する意味でも、正しい歴史を知っていただきたいと思います。

東京時代の関東大震災前の車番については、高松吉太郎氏が残された
『都電車両50年のあゆみ』鉄道ピクトリアルNo.121〜131 (1961年8月〜1962年5月)
を参考にいたしました。

東京都交通局の関係者の皆様方にも、100周年を迎えるにあたり、
高松氏の貴重な文献には、是非とも事前に目を通していただきたいと思います。

貴重な文献を後世に残し、多大な貢献をされた故・高松吉太郎氏に敬意を表します。

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(2010年11月25日掲載)

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