無蓋車(貨車)が写っている絵葉書
貨 車  大正9年当時の貴重な絵葉書

無蓋車(むがいしゃ)が写っている絵葉書が見つかりました。無蓋車というのは、貨車の一種で屋根が無いのが特徴です。これに対して屋根のある貨車は、有蓋車(ゆうがいしゃ)と呼ばれることがあります。

見つけてくださったのは、ブログ『函館鉄道写真館』を運営されているX-103さんです。

函館の路面電車でも、かつては貨物輸送が行われていました。貨物輸送のための貨車が存在していたのは、統計資料から1920年(大正9年)〜1934年(昭和9年)の期間であったようです。

今回、X-103さんが発見をされたのは、大正9年の絵葉書であることから、貨物輸送がはじまった初期の頃のものであると思われます。

大変貴重な発見をされ、そして、情報提供をしてくださったX-103さんに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

(函館名所)湯の川電車終点待合所前通り(函館要塞司令部御許可)
1920年(大正9年) 商標○M(松吉絵葉書店) 【函館市中央図書館蔵】 貨車の部分を拡大したものです。


上の絵葉書で貨車が写っている部分をさらに拡大したものです。


函館湯の川温泉場市街の景 小島大盛堂 貨車の部分を拡大したものです。



●X-103さんの無蓋車に関する考察

無蓋車は新製車ではなく
電化で用途を失った馬車鉄道時代の客車を
函館水電が新川車庫で無蓋車へと改造した可能性がある。



「(函館名所) 湯の川電車終点待合所前通リ (函館要塞司令部御許可)」に写りこんでいる無蓋車を「A」、「函館湯の川温泉場市街の景」に写りこんでいる無蓋車を「B」、馬車鉄道時代の客車を「C」とします。

A・B・Cとも
・車体を正面から見ると、車体裾に絞りが見られる。
・ホイールベースが短い

Cから屋根や窓ガラス、御者や車掌の乗るデッキ部分を取り除くと、
形態的にはA・Bと比較的類似した形態になる。

【類例】
国鉄ヨ1型
(日本における鉄道創業時等に導入した2軸客車を車掌車へ改造)

都電甲1型
(都電400型の側窓を閉鎖し、大型の貨物扉を新設する改造を経て有蓋電動貨車へ改造)


もう1つの可能性としては、車体は流用せずに車輪や軸箱といった部品を流用して製作した可能性もあります。


上記のX-103さんのお考えについては、私も同意見です。大正2年当時は新車をそろえて開業したのですが、その後は、中古車を購入して増車をしています。馬車鉄道時代の不要になった客車を、無蓋車に改造して利用することは、十分に考えられることで、わざわざ新造するよりも可能性が高いことだと思います。



●中島町会史の中の有蓋車や無蓋車に関する記述

X-103さんから、中島町会史の中に、有蓋車や無蓋車に関する記述があることを教えていただきました。中島町会・西崎 敏幸氏執筆、昭和61年10月19日発行のものです。函館市青年センターで写しを入手されたそうです。「あくまでも原文のままなので、一部に誤りがある点はご留意を。」とお書き添えいただきました。原文のまま、ご紹介引用させていただきます。

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【40ページ〜42ページ】
運行
鉄道馬車から電車に切り替えられたのは『湯の川線』の部分が最初である。(大正2<一九一三>年六月二十九日)
停留所は、東雲町-大門前−東川橋(昭和橋)−千代岱町(堀川町)−営所前(千代が岱・・・・・・営所とは重砲兵大隊)−女学校裏(中央病院前)−五稜郭−開発(杉並町)−柏野(柏木町)−深堀−競馬場前−芦堀(駒場車庫前)−鮫川橋(湯の川温泉)−寺野(郵便局の先)−湯の川終点(現在より少し手前・・・・・・今の国鉄の無人駅程度の小さな駅舎と貨物電車用のプラットホームもあった)となっていた。

今の中島町に隣接したものとして、東川橋、千代岱町、営所前の三停留所が挙げられる。
湯の川線開通の四か月後、大正二年十月三十一日から区内の走行が開始された。(この頃には、若松橋〜海岸町の馬鉄も姿を消している。)

特等車
大正八(一九一九)年十二月二日、湯の川線に特等車が出現した。二両連結で特等車の方は定員が三十二名で乗車料金は七割増しであった。現中島町在住の方でこれを利用された方はごく僅かであろう。連結車には他に『貨物専用車』もあった。国鉄の貨車を小型にしたもので色も黒く塗られ、有蓋と無蓋があり、湯の川村〜函館市街間の荷物輸送をした(昭和七年廃止)。
このような電車が木造の新川橋(前東川橋、後年の昭和橋)を渡って砂山を垣間見ながら走った姿は確かに郊外電車そのものであった。
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車両統計上は、昭和9年の函館大火の際に、客車52両、貨車2両(有蓋車、無蓋車、各1両)の計54両が焼失しています。貨物輸送が昭和7年に廃止された後も、貨車はすぐには解体されず、残されていたということだと思います。いずれにせよ、このような貴重な文献を残してくださったのは、とてもありがたいことだと思います。



●現存する「湯の川の駅舎」

X-103さんから、関連事項として、絵葉書にも写っている「湯の川の駅舎」について、情報をいただきました。

駅舎自体は増築済みとはいえ、湯の川電停のほど近くに2012年現在も現存しています(湯川町2丁目18-8)。

これは、驚きでした。
X-103さんが、ご自分で調査をされた内容を下記のサイトに掲載されています。

姿を変え生き残った湯の川終点の待合室の話
2010年9月10日
http://www.hakodate150plus.com/spl/2010/09/post-75.html



ご参考

 元の絵葉書が掲載されているページ
  ・(函館名所) 湯の川電車終点待合所前通リ (函館要塞司令部御許可)

  ・函館湯の川温泉場市街の景


 貨物電車 http://wakouji.sakura.ne.jp/hakodate/kamotu.htm
 「貨物電車」という表現を用いていますが、正確には「貨車」という表現が正しいと思われます。
 客車用の路面電車ではなく貨車用という意味で用いた表現ですが、動力を持っていて自分で
 走れるような誤解を招く表現であるかもしれません。お詫び申し上げます。


 この絵葉書に写っている無蓋車は、とても簡単な構造ですので、動力は持たず、
 動力を備えた客車に牽引されて利用されていたようです。


(2012年2月24日 / 2月28日追記)

■大正15年に「四輪電動有蓋貨車」と「四輪電動無蓋貨車」を新造

 大正15年に、自走可能な動力を持った「四輪電動有蓋貨車」と「四輪電動無蓋貨車」が新造されています。大正9年当時の無蓋貨車は動力を持たないものであったようですが、その後、牽引されずとも自分で走ることができる動力を持った貨車が作られています。

昭和9年の函館大火直前まで、「四輪電動有蓋貨車」301号と「四輪電動無蓋貨車」304号が残っていたのですが、残念なことに2両とも函館大火で焼失してしまいました。


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(2013年1月23日追記)



 

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