貨物電車
貨 車  昭和9年まで函館にも存在した貨物電車

この2003年に作ったページでは、「貨物電車」という表記をしていますが、自分で走れる動力を備えている貨物用の車両「電動貨車」と誤解されるかもしれません。「貨物電車」ではなく「貨車」が、より正確な表現であると思います。自走できる動力を備えた客車に牽引されて利用されたものと考えています。

「貨物電車」と書かれている部分は、単に「貨車」と読み替えていただければ幸いです。訂正してお詫び申し上げます。(2012年2月24日追記)

大正十五年五月二十二日の「貨車新造認可申請」には、電動機の構造として「GE 54-A型」であることが書かれています。添付されている「車両設計書」には、車種として「有蓋四輪車」と書かれていますが、米国ゼネラル・エレクトリック社製25馬力の電動機を備えていたことから、自分で走ることができる動力を持っていたことがわかります。


大正十五年九月三十日の「無蓋貨車新造認可申請」には、同様に電動機の構造として「GE 54-A型」であることが書かれています。ちなみに台車は、ペックハム8-Bであることが書かれています。また、台車や電気機器(電動機)の費用が廉価なのは、大正十五年一月車庫火災で被災した車両のものを修繕して流用するためである旨が「工事推算書」にかれています。

ペックハム8-B台車のご参考

金杉橋付近の1型115号(後に函館市電241号)−高松吉太郎氏撮影
『鉄道ピクトリアルNo.443』より


すべての貨車について、電動機を備えていたかどうかは確認できませんでしたが、少なくとも大正15年に新造された有蓋貨車と無蓋貨車は、それぞれ自走可能な「四輪電動有蓋貨車」、「四輪電動無蓋貨車」であったことがわかります。
(2013年1月23日追記)



かつては函館の路面電車にも貨物電車がありました。貨物電車には屋根がある「有蓋(ゆうがい)貨車」と、屋根の無い「無蓋(むがい)貨車」の2種類がありました。昭和9年迄働いていたのですが、函館大火で2両の貨物電車を全焼し、それ以降は新造されることもありませんでした。
和久田康雄様よりいただいた、鉄道院、鉄道省(後に 運輸通信省→運輸省→現 国土交通省)の統計値から、貨物電車の部分を抜粋すると次のとおりです。ただし大正時代の貨物電車については、車体番号が不明であるため便宜上「No.1」「No.2」等の表記をさせていただきました。

なお、当時函館の路面電車を運営していた「函館水電株式会社」は、11月決算でしたので、下記の表で、例えば1926事業年度は暦年に換算すると、1925年12月〜1926年11月になります。 
                                                           
事業
年度
和暦年 増減
台数
増減車 在籍車両 在籍
台数
備考
1920〜21 大正9〜10 有蓋+1
無蓋+2
有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3

有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3
3 統計上はじめて貨車が登場する。
1926 大正15 無蓋+1 無蓋No.4
有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3
無蓋No.4
4 無蓋車の増加

1933 昭和8 無蓋-2 無蓋No.2
無蓋No.3

有蓋No.1
無蓋No.4
2 無蓋貨車2両が減った理由は不明。
1934 昭和9 有蓋-1
無蓋-1
有蓋No.1
無蓋No.4
貨物電車
在籍無し 
0 函館大火で客車52両の他貨車2両も焼失。

昭和9年の函館大火後に提出された「車輌焼失届」(昭和九年四月十ニ日)によれば、焼失した貨物電車に関しては、次のように記載されています。

一、四輪電動有蓋貨車 一輌 昭和二年八月二十九日監第一四八六號許可 番號三○一號

一、四輪電動無蓋貨車 一輌 昭和三年一月二十五日監第九四號許可、番號三○四號


上記から、昭和9年の時点では有蓋貨車は301号、無蓋貨車は304号の番号で管理されていたことがわかります。貨物電車がいつの時点から300番台の車番で管理されていたかは定かではありませんが、大正15年の新川車庫火災後ではないかと考えられます。 新川車庫火災後に、100型や200型(201〜220号)という番号の車輌が登場しているからです。

つまり、車庫火災後
10型...焼失せずに残った単車
50型...焼失せずに残ったボギー車
100型...火災後梅鉢鉄工所から到着した新車7両
200型...東京市電より購入した中古車20両
300型...貨物電車

のように整理をしたと考えられます。
但し、41,42,43,46号のように10型から100型へ改番された車輌もあります。
焼失しなかったボギー車の47,49,50,51号は車庫火災後に50〜53号へ車番変更されています。50型については、「はしりました80年」(函館市交通局)では「旧500型」として紹介されています。
車庫火災直後から、貨物電車を300型としたかどうかは資料が見つからず定かではないのですが、車庫火災後の大正15年〜昭和9年の函館大火の前のどこかで300型としたことは、ほぼ間違いないでしょう。

貨物電車の増加届については、全てを見つけることはできませんでしたが、一部を拝見することができました。

■貨車新造認可申請
弊社電氣軌道營業線中大門湯ノ川間ニ從來使用致居候有蓋貨車先般車庫失火ノ際焼失仕候間今囘別紙設計書ノ有蓋貨車ヲ新造使用致度候篠御認可相成度關係書類相添へ此段及申請候也

大正十五年五月二十二日

函館仕末廣町四十六番地
函館水電株式會社
取締役會長 藤 山 雷 太

北海道廳長官 中 川 健 蔵 殿


大門と湯の川間で従来使用していた有蓋貨車が、車庫火災で焼失したので、今回新造するので許可して欲しい旨が書かれています。
これより先4月10日に出された「車輌使用廢止届」には22両の客車が焼失したことしか書かれていませんが、この貨車新造認可申請から有蓋貨車が車庫火災で焼失していたことがわかります。

■無蓋貨車新造認可申請
今囘別紙工事方法書及車輌設計書記載ノ無蓋貨車ヲ新造シ大門湯之川間ノ一般貨物ノ運搬並二軌道及架線工事材料ノ配給二使用致度候間無蓋貨車新造使用ノ儀御認可相成度別紙關係書類相添及此段申請候也

大正十五年九月三十日

函館仕末廣町四十六番地
函館水電株式會社
取締役會長 藤 山 雷 太

内務大臣    濱 口 雄 幸 殿
鐵道大臣子爵 井 上 匡 四 郎 殿


貨物電車が、一般貨物の他に軌道工事の為の資材を運んでいたことがわかります。別紙には、GE54−A型の電動機2個25馬力、ペックハム8−B型台車等の記載があります。また、製作費用が安い理由として、車庫火災で焼失した車輌を修理して貨車に流用する旨も書かれています。


■就役開始は大正4年(1915)9月1日

 鉄道省の統計上では、函館の路面電車で貨物電車がはじめて登場するのは大正9年ですが、実際には大正4年(1915)から就役を開始していたようです。
『市電50年のあゆみ』(函館市交通局)に掲載の年表から貨物電車に関する部分を抜粋すると次の通りです。

・大正4年(1915)9月1日
 貨物電車を大門前、湯の川間に運行開始。

・大正9年(1920)6月19日
 湯の川線に有蓋貨物電車就役。

・大正12年(1923)11月1日
 大門前から湯の川間貨物電車の荷扱いを内国通運株式会社函館支社に委託。

・大正15年(1926)1月20日
 新川車庫から出火、車庫1棟、電車30両(単車28両、ボギー車2両)、貨物電車1両焼失。

・昭和7年(1932)10月14日
 湯の川線貨物電車運転廃止。



仮に、貨車が300型として車庫火災後から管理されていたと仮定し、大正15年の有蓋貨車焼失も考慮にいれた場合は、次のような推移になります。

事業
年度
和暦年 増減
台数
増減車 在籍車両 在籍
台数
備考
1915〜21 大正4〜10 有蓋+1
無蓋+2
有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3

有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3
3 統計上はじめて貨車が登場するのは大正9年。
1926 大正15 有蓋-1
有蓋+1
無蓋+1
有蓋No.1
有蓋301
無蓋304

有蓋301
無蓋302
無蓋303
無蓋304
4 1月有蓋車の焼失
5月有蓋車の新造
9月無蓋車の新造

1933 昭和8 無蓋-2 無蓋302
無蓋303

有蓋301
無蓋304
2 減車理由は、貨物電車運転廃止の為と考えられる。
1934 昭和9 有蓋-1
無蓋-1
有蓋301
無蓋304
貨物電車
在籍無し 
0 函館大火で客車52両の他貨車2両も焼失。

上記の表から、過去に有蓋貨車が2両、無蓋貨車が3両製作され、多いときには4両が在籍していたことがわかります。しかし、残念ながら、函館の貨物電車の写真は残っていないようです。ご参考として、東京都電と横浜市電の無蓋貨車の写真をご紹介します。

都電電動無蓋貨車乙2型−東京都文京区:神明都電車庫跡公園(2002年5月5日撮影)

横浜市電電動無蓋貨車10号−横浜市電保存館(2002年5月6日撮影)


なお、鉄道統計の数値で例えば昭和54年度を見ると「貨物電車」が計上されていますが、これは花電車用の装飾車で、荷物運搬用の貨物電車とは異なります。


■大正15年の車庫火災で焼失した車両は全部で32両

大正十五年一月二十二日(金)の「函館毎日新聞」と「函館新聞」を拝見する機会がありました。新聞のトップに車庫火災のことが大きく取り上げられています。

函館毎日新聞
 昨夜車庫から發火して電車卅一臺を焼く 車庫及び倉庫各一棟を焼失す
 原因は漏電と判明す 損害は約四十万圓

函館新聞
 水電車庫全焼す 出火原因はボギー車の漏電か
 在庫車三十二台を焼く

原因は漏電として処理されたようですが、『続函館市史資料集(第1号)』で初代交通局長の葛西民也氏が残されているように、乗客のタバコの火の不始末が真相だったのかもしれません。

ところで、焼失した車両の数ですが、この2つの新聞では31台と32台で1台差異があります。実は、函館毎日新聞も記事をよく読むと見出しとは異なり32台であることがわかります。

焼失したる電車の内譯はボギー車二臺 電車廿八臺(内四臺半焼) 貨車一臺にて損害はボギー車七万圓 単車二十八万圓 貨車九千圓 無蓋車六百圓

と書かれています。わかりやすく書くと

ボギー車2台 7万円
単車 28台 28万円
有蓋貨車 1台 9千円
無蓋貨車 1台 6百円

ということになります。つまり32台です。

また、函館毎日新聞の記事には

水電所有の電車は貨車一臺を加えて六十臺であるが、その内三十一臺焼失してしまったので殘り二十九臺となり運轉上にも支障を来たすようになったので今廿一日から發車の間隔時間を長くした
(中略)
山本常務も「迷惑をかけて申譯がない 1日も早く復舊する」と恐縮してゐた因みに午前十時から同社で開いた緊急重役會議の決議で山本常務が午後四時五十分の連絡船で東上した。

と書かれています。

車庫火災前は客車59両、有蓋貨車1両の60両でしたが、焼失した無蓋貨車を入れると61両だったわけです。さらに焼失しなかった無蓋貨車を入れると、63両です。

実は、上記の表によれば、車庫火災前は有蓋貨車1両、無蓋貨車二両で合計3両が存在していたことになっていますが、「大正15年の車庫火災で無蓋貨車1両が焼失した事実」が反映されていません。この1両の無蓋車がいつ製作されたものなのか、いつ鉄道院や鉄道省に届出が出されたものなのか、資料不足で調べることができませんでした。新聞の見出しのタイトルでも台数から無視される位なので、届出の無い構内専用の車両だったのかもしれません。この無害貨車の1両も含めて表を作り直すと次のようになります。

事業
年度
和暦年 増減
台数
増減車 在籍車両 在籍
台数
備考
1915〜26 大正4〜15 有蓋+1
無蓋+3
有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3
無蓋No.4

有蓋No.1
無蓋No.2
無蓋No.3
無蓋No.4
4 統計上はじめて貨車が登場するのは大正9年。
1926 大正15 有蓋-1
無蓋-1
有蓋+1
無蓋+1
有蓋No.1
無蓋No.4

有蓋301
無蓋304

有蓋301
無蓋302
無蓋303
無蓋304
4 1月有蓋車の焼失
1月無蓋車の焼失
5月有蓋車の新造
9月無蓋車の新造
1933 昭和8 無蓋-2 無蓋302
無蓋303

有蓋301
無蓋304
2 減車理由は、貨物電車運転廃止の為と考えられる。
1934 昭和9 有蓋-1
無蓋-1
有蓋301
無蓋304
貨物電車
在籍無し 
0 函館大火で客車52両の他貨車2両も焼失。

つまり、車庫火災前の車両は、客車59両(ボギー6両、単車53両)、有蓋貨車1両、無蓋貨車3両の合計63両でした。そして火災直後は、客車29両(ボギー4両、単車25両)、有蓋貨車ゼロ、無蓋貨車2両の合計31両となったことになります。

しかし、火災後の「客車29両」というのは疑問が残ります。大正十五年四月拾九日に函館水電が提出した「電車々輌増加使用認可申請」によれば

電車々輌増加使用認可申請

 弊社経営ノ電車運輸業ニ使用中ノ車輌不足ニ付今回東京市電氣局ヨリ從來使用中ノ車輌貳拾臺ヲ譲受ケ現在電車參拾臺ニ右貳拾臺ヲ加ヘ五拾臺ニ増加使用致度候間御認可相成度關係書類及圖面相添此段申請候也

大正十五年四月拾九日

函館市末廣町四拾六番地
函館水電株式會社
取締役会長 藤 山 雷 太

とあり、現在の30両に東京市電気局からの20両を加えて50両にする旨が書かれています。半焼車の1両を再生して使用可能にした為、火災から3ヶ月経過した4月の段階では可動車両が1両増加したのかもしれません。このように考えれば、つじつまが合います。

(2003年10月13日追記)

■参考文献
 ●『日本の路面電車−震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
  −「鉄道ピクトリアル」誌No.329〜336(1977年1月〜7月)の連載記事
 ●和久田様より別途ご提供いただいた情報
 ●『貨車新造認可申請』(大正15年5月22日 函館水電株式會社)
 ●『無蓋貨車新造認可申請』(大正15年9月30日 函館水電株式會社)
 ●『市電50年のあゆみ』(函館市交通局)
 ●『函館毎日新聞』(大正十五年一月二十二日)
 ●『函館新聞』(大正十五年一月二十二日)

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