定点写真
 新旧対比  (3)函館駅前電停

函館停留場前から亀田へ(大正10年代)
函館市交通局 『走りました80年』より−交通局の許可を得て掲載

函館駅前の8002号 2002年4月 田澤様撮影

大正末期の頃、函館駅は「函館停留場」という名称でした。
写真には、左側に30号(博多車)、右側に205号が写っています。

最初、この写真を見たときは気が付かなかったのですが、よく見直ししたとき
驚いてしまったのです。
函館の路面電車において、200番台の車番が登場するのは
昭和9年の函館大火以降であると信じていたからです。
この写真には、「大正10年代」と書かれており、最初は年代の誤りでは
ないかと思いました。
しかし、この205号の屋根の形を見たときに、再び驚きました。
この205号の屋根の形は、昭和9年の函館大火以降に登場した
200型とは異なる形をしているのです。昭和9年以降に登場した
200型は、東京市電から購入した45両(201〜245号)で
東京市電時代は「ヨヘロ型」と呼ばれていました。ですが、この写真の
205号は屋根の形から明らかに、もっと古いタイプの車輌であり、
東京市電の中で同じタイプの車輌を探すと「ヨヘシ型」というタイプに
なります。

鉄道院や鉄道省の記録によれば、大正時代に函館の路面電車では、
200番台の車番は存在しなかったことになっています。
その事もあり、あまり知られていない事ですが、実際は200番台の車輌が
大正時代から存在していました。
写真の205号は、1926年(大正15年)1月20日に新川車庫で火災
があった後、東京市電から購入したヨヘシ型20両の中の1両であると
考えられます。
詳しくは「資料・情報館」の中の「100型・200型の考察」をご覧下さい。

写真の説明には「亀田へ」と記されています。この工事現場自体は、
写真の説明にもあるように停留場前(函館駅前)のものです。
実は、亀田方面への軌道延長工事というよりも、市から要請があった
「電車軌道内舗装工事」を施行している様子のようにも見えます。
そうすると、年代はもう少し後で、昭和3年以降になります。
ただし、大正15年購入のヨヘシ型20両については、
昭和6年には車体更新が行われており、車番も100番台に改番されたと
考えられる為、昭和6年よりも前の古い写真であることは、
間違いないようです。
仮に、1926年(大正15年)の撮影とすれば、2002年から数えて
76年前の写真となります。

ちなみに、残念ながら亀田方面へ向う線路(通称「ガス会社回り線」)は、
1993年(平成5年)4月1日付で廃線になっています。

新しい写真は、田澤様が撮影をしてくださいました。
交通量が多い駅前で、車に注意し、安全な撮影地点を探しながらの
撮影であったと思います。あらためて田澤様に感謝申し上げます。

「函館停留場前から亀田へ(大正10年代)」の写真の掲載につきましては、
函館市交通局より発行の『走りました80年』より掲載させていただきました。
許可をくださった、函館市交通局長の岩船様、 ご担当の加藤様、そして
函館市交通局の皆様と、便宜を図ってくださった田澤様に御礼申し上げます。 ありがとうございます。

 
 
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 (2002年5月17日掲載)

 

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