都電荒川車庫 |
写真集 | 都電荒川線 | 2002年3月29日 |
「PCCカー」(5501号)は、1954年(昭和29年)に完成し5月17日に公開されました。 アメリカの会社に特許使用料を支払って作られた電車です。 「PCCカー」とは「President's Conference Committee」の略で、「社長委員会」の意味になります。つまり、「アメリカのいくつかの鉄道会社の社長が集まって、台頭してきた自動車に対抗すべく技術を結集して作られた」といった意味が込められています。 5500形は5507号まで作られましたが、PCCカーとよべるのはこの5501号だけです。 5502号〜5507号は、PCCカーの長所を取り入れつつも日本独自の研究技術によって作られており、外見はそっくりですが、構造は異なっていました。例えば、コントローラをはじめ、制御が全て足踏み式なのは5501号だけです。5502号以降は従来どおりの手で操作する方式です。実は、純国産の5502号は1953年11月16日に芝浦−銀座間の試運転を開始しており、5501号よりも先に完成していました。 ・5501号の足での操作は運転手に不評だった為、1960年に手で操作する方式に改造されました。 ・5501号の台車はFS-501、5502号はD-19、5503号〜5507号はFS-353が使用されました。 ・5503号〜5507号は1955年(昭和30年)に作られましたが、正面窓のサンを5502号より細くしたり、種々の改良が加えられました。(5月6日追記) 引退後は上野公園にある不忍池のほとりに保存されていましたが、屋外で保存していた為か損傷が進んだので、1990年6月に荒川車庫へ移設されました。しかし、その後も損傷が進み痛々しい姿になってしまったようです。車体の側面に貼られた展示用の説明書プレートは、赤錆で判読できなくなりました。そのプレートには、かつて以下のような文面が書かれていました。 この電車はP.C.C(President's Conference Committee)カーといわれ 路面電車としては最高の性能(高速、防音、防振、暖房および換 気装置)をそなえた最優秀車です。都交通局はこの理想的車両を1 両試作し、5501号車としましたが、これが最初で最後の車両にな りました。この電車は三田電車営業所(昭和42年12月廃所)に 属し1系統(品川ー上野駅)を昭和29年5月から42年12月 9日まで13年間たゆまず走りつづけました。優秀車でありながら 最初に勇退しなければならなかった理由は、全長がながく、カーブ に弱いため、銀座線しか走らすことが出来なかったためです。かつ ては首都交通の主役として活躍した都電も、昭和46年にはその姿 を消すこととなります。 明治以来チンチン電車として都民に愛されて来た都電 その代 表としてのP.C.Cカーを路面電車発生の地で余生を静かにおくら せてやってください、末ながく保存し交通発達史の1ページにと どめておきたいと思います。全長 14m3 全高 3m422 全巾 2m44 自重 16.5t 無事保存先が決まった「一球さん」と比べてしまうと、ちょっと可哀そうに思えてしまいます。いい引取り手が見つかることを祈る事位しかできないのですが...。 2003年5月5日に確認したところ、5501号はすっぽりとシートに覆われていました。風雨を避けて老朽化を防ぐ為の処置と思われます。(5月6日追記) |
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