雪1号と雪6号-その後
メイン州  シーショア路面電車博物館で米国製単車へ流用

除雪車の雪1号と雪6号の譲渡先である米国「シーショア路面電車博物館(The Seashore Trolley Museum)」へ、その後の状況をお尋ねしておりましたところ、この度ご返事を頂戴いたしました。



博物館にお勤めのDaniel Cohen様からのお手紙です。

詳細は省きますが、2台の車輌の台車、電動機等の部品は、
博物館の他の単車の部品へ流用されたそうです。
どの車輌へ流用されたかは記載されておりませんでした。


函館市交通局での、元気な最後の姿の写真をお送りくださったので、ご紹介いたします。

二段屋根に特徴があった元博軌電車の雪1号(旧函館市電29号)
後ろは元東京市電の雪6号(旧函館市電243号)

シーショア路面電車博物館には、260台以上の電車が保存されているそうです。
アメリカらしい日本では真似のできない壮大なスケールですね。
ご返事をくださったDanile Cohen様にお礼申し上げます。ありがとうございました。

(2003年8月9日掲載)
以下は以前掲載した内容です。
「客車に復元される旨」が書かれていますが、それは間違った情報です。
正しくは、上記のとおり「博物館の他の単車の部品へ流用された」ということです。
これを機会に、情報を鵜呑みにせず、きちんと検証することを心がけます。
申し訳ございませんでした。お詫びのうえ訂正いたします。



渡米した雪1号&雪6号
メイン州  シーショア路面電車博物館で1台に再生予定

1997年に廃車となった、雪1号(九州車)と雪6号(ヨヘロ車)は、解体されたものと考えておりました。しかし、函館市の田澤様からの情報で、アメリカの博物館に引き取られたことが判明いたしました。アメリカのメイン州にある「シーショア路面電車博物館(The Seashore Trolley Museum)」で、2両を合わせて1両の客車として再生される予定です。

今回の渡航に関しては、関西外国語大学短期大学部助教授で、「鉄道史学会」、「産業考古学会」会員の岡田広一様の仲介で実現したそうで、函館市交通局でも復元車両の完成を楽しみにしているそうです。
貴重な情報をご提供くださった田澤様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。
      

【雪1号の略歴】

 ・製造年〜1911年(明治44年)4月、川崎造船所兵庫鉄道部

 ・主な仕様(除雪車改造後)
  最大長×幅×高:8,700×2,344×3,960(mm)
  自重:9.8(t)
  前照灯:2個
  室内灯:4個
  固定軸距離:1,829(mm)
  車輪径:787(mm)
  電動機:運転用18.7KW×2/ブルーム用18.7KW×1
  歯車比:運転用6.61/ブルーム用4.3
  台車:ブリル21E(九州時代からブリル21Eでした)

 ・初任地(推定)〜九州の博多電気軌道
  博多電気軌道(博軌電車)時代の車番は不明。
  小熊氏の調査では27〜45号の中の何れかであった可能性が
  あるとのこと。

 ・1912年7月、合併により九州水力電気の車両となる。

博軌電車2号(『想い出のアルバム 博多、あの頃』より)
台車がペックハム7B型なので、函館にやってきた5両は、
違うタイプの車両だと思われます。

博多呉服町を走る博軌電車(『チンチン電車80年』より)
      
九州水力博軌電車22号(『日本路面電車変遷史』より)
台車がブリル21Eで、側面腰板2枚式のこちらと同じタイプで
あったと考えられます。


 ・函館に来た時期〜1915年(大正4年)仲間と一緒に(全部で5両)。
  軌道間隔を1435mmから1372mmへ改造した工場は不明。

 ・函館時代の車番〜29号若しくは30号。
  帝国電力株式会社が鉄道省に1937年4月22日付で提出した
  除雪車改造に関する廃車届によれば29号。
  川上氏や小熊氏の説では30号。

 ・1934年(昭和9年)、函館大火に遭遇。
  九州車5両(26〜30号)の中で、唯一生き残った九州車。

 ・1936年〔昭和11年)に成田車(→雪2号)と共に除雪車へ改造。
  但し届出は前述のとおり1937年4月22日。

 ・1997年、惜しくも廃車。

川上幸義氏撮影の雪1号−『鉄道ピクトリアルNo.32』より


【雪6号の略歴】

 ・製造年〜1903年〜1905年(明治36年〜38年)の何れかの年
  大塚工場、天野工場等で製作されたが、特定できない。

 ・主な仕様(除雪車改造後)は、雪1号と同様。
  ただし、製作当時の台車は、ぺックハム社、又はジョンバット社。
  東京市電時代に、ブリル21Eへ変更されたと考えられる。

 ・初任地〜東京市街鉄道
  1906年(明治39年)の合併により東京鉄道株式会社の所属となる。
  1911年(明治44年)8月、買収により東京市電の所属となる。

 ・東京市電時代の車番〜当初は630号。

当初はこのような636号と同様の姿(ヨシ車)でした
高松吉太郎氏撮影−『鉄道ピクトリアルNo.59』より


 ・東京市電において、大正6年以降、車体更新を受けヨヘロ車となる。

ヨヘロ車になってからは、115号と同様の姿になりました
高松吉太郎氏撮影−『鉄道ピクトリアルNo.443』より

 ・東京市電の1925年(大正14年)の改番で32号となる。 

 ・函館に来た時期〜1934年(昭和9年)函館大火後。
  鉄道省への届出は1935年8月15日付。
  仲間と一緒に到着(数回に分けて、全部で45両)。
  函館水電株式会社の山本源太氏が東京市電より買付した。

山本源太氏は、昭和5年6月21日の第48回定時株主総会で
函館水電を退任されています。
昭和9年当時の役員は、専務取締役が穴水熊雄氏、取締役は石津龍輔氏、
渡邉又四郎氏、岡田伊太郎氏の三名でした。

 ・函館時代の車番〜243号。

 ・1940年〔昭和15年)に242号(→雪5号)と共に除雪車へ改造。
  大日本電力株式会社の届出は1940年1月19日付。

 ・1997年、雪1号と共に惜しくも廃車。

イベントで特殊な塗装となり、その後廃車となった雪6号(左)
  1998年8月20日撮影


廃車後、解体されたとばかり思っていた2両。
成田車の39号のように、除雪車から復元されることもなく不運だとばかり思っていました。2両を合わせて1両に復元するようですが、解体されて何も残らない事に比べたら、1両であっても とてもありがたいことです。
岡田広一様と函館市交通局の皆様に感謝いたします。

客車への復元完成時期は、まだ未定のようですが待ち遠しいです。


■参考文献
  ●和久田様から別途頂戴した資料
  ●『日本の路面電車−震災から戦災まで−』(和久田康雄様)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.329〜336(1977年1月〜7月)
      の連載記事」
  ●『私鉄史ハンドブック』(和久田康雄様)−株式会社電気車研究会
  
  ●『函館市電』(川上幸義氏)
    −「もはゆに」誌No.7( 1948年12月)...東京鉄道同好会の会報
  ●『函館市電 その后』(川上幸義氏)
    −「Romance Car」誌No.8(1949年12月)..東京鉄道同好会の会報
  ●『凾館市電』(川上幸義氏)
   −「鉄道ピクトリアル」誌1954年(昭和29年)3月号(通巻No.32)

  ●『都電車両50年のあゆみ』(高松吉太郎氏)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.121〜131(1961年8月〜1962年5月)
      の連載記事
  ●『木製車 花やかなりし頃−大正時代の東京市電−』(高松吉太郎氏)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.59(1956年6月)

  ●『凾館市電の除雪電車 その雪1,2号の来歴について』(小熊米雄氏)
   −「鉄道ファン」誌1963年(昭和38年)1月号(通巻No.19)

  ●『台車のはなし』VI(私鉄編 単台車)(『レイル24号』 吉雄永春氏)

  ●『日本路面電車変遷史』(鉄道図書刊行会)(高松吉太郎氏)

  ●『想い出のアルバム 博多、あの頃』(葦書房・1977年)
   (石橋源一郎氏・波多江五兵衛氏)

  ●『チンチン電車80年』(立風書房・1978年)(東京出版企画社)

  ●『市電50年のあゆみ』−函館市交通局
  ●『走りました80年』−函館市交通局

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