昔の設計図
 ヨヘロ車  昭和9年の函館大火後、東京から購入した45両

函館で、はじめて200型が登場したのは、大正15年(1926年)の新川車庫火災の後で、このときは東京市電から20両の中古車を購入しています(201〜220号)。これら20両の車輌は、車体更新の後100型へ改番されましたが、昭和9年(1934年)の函館大火で多くの車輌を失った為、再度東京市電より45両の中古車(東京市電新1型ヨヘロ)を購入し、再び200型が誕生します(201〜245号)。

函館に到着したとき、乗降口の扉はありませんでしたが、昭和18年(1943年)に400型の扉を参考にして自社工場で取り付けられました。

211、212、213(旧210)、214(旧220)、215(旧221)は、戦後もしばらくの間活躍していましたが、昭和29年(1954年)に215号が廃車となり、700型(701〜705号)が導入された昭和32年(1957年)には211〜214号全てが廃車となり、客車としての200型は全て無くなりました。

現在残されている、除雪車の雪3号と4号は、昭和12年(1937年)に客車から改造されたものですが、元々は200型で旧車番は244、245号です。また、電動機は出力の高いもの(37.3kW×2)に変更されています。

 川上幸義氏撮影の211号−『鉄道ピクトリアルNO.32』より

下記の設計図は、昭和27年(1952年)1月5日に発売された「電氣車形式図集-路面電車編」に掲載されていたものです。当時、在籍していた211〜215号についての仕様が記載されています。運転席の窓が、客席の窓より低い位置にあったことがわかります。

200型の設計図(『電氣車形式図集-路面電車編』より)


■200型の主な仕様
車種名称 木造四輪電動客車
製造初年 大正2年(注1)
最大長 8,233mm
最大高 3,267mm
最大巾 2,280mm
車体 田中車輌工場、雨宮製作所
台車 ブリル21E
自重 9.1t(トン)
主電動機
 GE54-A(211,212)
 三菱MB−172NR(213〜215)
 出力 18.7kW×2
制動装置
 電気ブレーキ、
 両巻手ブレーキ
制御器
 泰平製KR−8型
 DK製KR-7型
車輪直径 755〜838mm(注2)
最大運転速度 27.0km/h
乗客定員数 52人
 座席 20人
 立席 32人












 ■参考文献
  ●『電氣車形式図集-路面電車編』
   −昭和27年1月5日
     株式会社電氣車研究会

  ●『購入車車輪直径及種別表』
   −昭和10年11月
     帝國電力株式会社

(注1)函館水電及び帝國電力が東京市電より購入した新1型は、大正9年〜12年にかけて車体更新を受けていますが、もともとは明治36〜39年に「東京電車鉄道」、「東京市街鉄道」及び「東京電気鉄道」の何れかで製作されたものです。大正2年というのは、函館で路面電車を開業した年で、そのときに梅鉢鉄工所から購入した新車と混同して書かれたもの(誤記)であると考えられます。

(注2)帝國電力が昭和10年11月に行った調査によれば、211と212号は33インチ(838mm)、210号は29と3/4(4分の3)〜29と13/16インチ、220号は31インチ、221号は30と5/8インチでした。この5両に限定していえば、何れも「東京市街鉄道」で活躍していたもので、明治36年〜38年の間に製造されたものですが、大塚工場、天野工場等、いろいろな工場で組み立てられた為、使用した台車も均一でなく、このようにバラバラな数値だったようです。『電氣車形式図集-路面電車編』に車輪直径の記載はありません。

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