成田電気軌道
 除雪車の故郷  千葉交通のルーツ

「箱館ハイカラ號」は、1993年(平成5年)に雪2号から客車へ復元されたものです。除雪車の雪2号は元々は客車で、1918年(大正7年)5月に成田電気軌道から購入したものです。
成田電気軌道株式会社の前身である成宗(せいそう)電気軌道株式会社は、1910年(明治43年)12月11日に、成田駅前−不動尊前間、翌年の1月20日には、成田駅前−宗吾間を開通させました。成田山新勝寺の参拝客を、宗吾霊堂へ誘致するのが目的で作られた鉄道でした。人力車夫や主に商店街関係の住民からの反対を受け、構想はもっと前からあったのですが、すぐには着工できなかった模様です。
軌間は函館市電と同じ1372mmで複線、東京天野工場(現在の日本車輌製造株式会社)製の15両の木造4輪単車で開業しています。単車の仕様は、長さ26フィート、幅7フィート8インチ、英国マウンテンギブソン社製の台車、アルゲマイネ(AEG)社の25馬力の電動機を2個使用といったものでした。
1916年(大正5年)には、成田電気軌道株式会社へ社名が変わります。電車撤廃派の人が会社の実権を握り、第一次世界大戦で高騰した鉄材(レールや電車)を売却し高利益を得ることを画策しました。大正7年には営業廃止の申請が出されますが、知事がこの画策を見抜き、結局廃止について政府の許可はおりませんでした。廃線に失敗した経営陣は、経営悪化を理由として、複線だったレールの片側を売却し単線にします。また15両の電車の内9両を売却しました。
この9両の行先は、福博電気軌道へ2両(譲渡先で85、86号)、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄株式会社)へ2両(譲渡先で47、106号)、函館水電へ5両(函館で36〜40号)です。
その後、経営陣も変わり、1924年(大正13年)には京成電気軌道株式会社(現在の京成電鉄株式会社)の傘下に入ります。1927年(昭和2年)には、千葉県営鉄道の多古線と八街線を譲り受け、非電化区間の営業も始めたことから成田鉄道株式会社に社名を変更します。創業時代からの路線区間は宗吾線とよばれるようになりました。JR成田線の前身も同じ成田鉄道という名前でしたが、別会社です。

荻原二郎様撮影 成田鉄道・成田駅前の2号車(昭和12年7月28日)

その後、太平洋戦争の激化により、鉄材の調達が必要になり、地方の閑散な鉄道、遊覧的な色彩の濃い鉄道は廃止することが決められ、1944年(昭和19年)12月11日に廃止となりました。
成田鉄道は、1937年(昭和12年)成田自動車株式会社を合併しており、バスの営業も行っていました。路面電車が無くなって、戦後には成田バス株式会社に社名を変更し、さらに昭和31年11月13日には千葉交通株式会社に社名が変更されて現在に至っています。

成宗電軌の5号車(『チンチン電車80年』より)

成田電気軌道からやってきた5両の成田時代の車番は不明ですが、函館では36〜40号になりました。

             
(凾館郊外名所)湯の川電車終点(凾館要塞司令部御許可)
      白土貞夫様所蔵の絵葉書−許可を得て掲載

その後の26〜30号ですが、1両を除いて長くは活躍できませんでした。
先ず、1926年(大正15年)1月20日の新川車庫の火災で、5両の内2両が焼失しています。同年の4月26日付の「車輌使用廢止届」には次のように書かれています。

大正七年五月貳日増加届出ノ電車五臺中消失
第参拾七號及第四拾號ノ貳臺


37号と40号の2両が消失した事が書かれています。残ったのは36号、38号、39号の3両です。

1934年(昭和9年)3月21日の函館大火では、残りの3両の内2両が消失しています。同年の4月12日付の「車輌消失届」には次のように書かれています。

四輪電動客車 二輌 大正七年五月二日届出
番號 三六、三八號


36号と38号が消失し、39号だけが残りました。
鉄道雑誌には、40号が雪2号に改造されたように書かれている場合もありますが、40号ではなく正しくは39号です。

1936年(昭和11年)に博軌電車の29号(→雪1号)と共に除雪車へ改造されて雪2号となりました(届出は1937年4月22日)。小熊米雄氏の1963年(昭和38年)当時の調査によると、この車輌には既に製造銘板が無かったそうです。成宗電気軌道の創業時に天野工場で作られたのですが、天野工場の製造銘板が無くなってしまったのは残念です。成宗電気軌道が初任地だったのは間違いありません。

廃車になった雪1号と比べると、雪2号は幸運でした
「箱館ハイカラ號」として復元され、現在も活躍しています。


■参考文献

  ●『(凾館郊外名所)湯の川電車終点(凾館要塞司令部御許可)』
   −白土貞夫様所蔵の絵葉書

  ●『成田電氣軌道株式會社の電車賣却の広告』
   −白土貞夫様所有の「電氣之友」誌(大正六年四月十五日)

  ●大正15年4月26日付『車輌使用廢止届』
   −国立公文書館で保管

  ●昭和9年4月12日付『車輌消失届』
   −国立公文書館で保管

  ●『千葉県下を最初に走った成宗電気軌道の電車』(白土貞夫様)
    −成田市教育委員会「成田市史研究」誌24号(2000年3月)

  ●『成宗電気軌道』(白土貞夫様)
    −「鉄道ピクトリアル」誌1963年(昭和38年)10月号(通巻No.150)

  ●『凾館市電の除雪電車 その雪1,2号の来歴について』(小熊米雄氏)
   −「鉄道ファン」誌1963年1月号(通巻No.19)

  ●『写真でつづる日本路面電車変遷史』(高松吉太郎氏)
   −鉄道図書刊行会

  ●『チンチン電車80年』−東京出版企画社編 立風書房


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成宗電気軌道、成田電気軌道については、
白土様の次の文献に詳しいことが書かれております。
ご一読をお勧めいたします。

 ●『千葉県下を最初に走った成宗電気軌道の電車』(白土貞夫様)
   −成田市教育委員会「成田市史研究」誌24号(2000年3月)

   申込先 〒287-0017 千葉県成田市赤坂1−1−3
        成田市立図書館
        電話0476−27−4646
   一冊450円、送料は120円です。

貴重な文献をご提供くださり、また掲載の許可をくださった、
白土様にあらためて御礼申し上げます。
ありがとうございます。
 


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