200型の東京時代の車番
 200型  除雪車も含め判明

記録は残っていないものと、あきらめかけていたのですが、東京時代における旧番号との1対1の対応が判明しました。

当初は、現在残っている肝心の除雪車3両(雪3〜5号)については、特定できませんでした。
はじめに、川上幸義氏が1948年(総和23年)頃、交通局の松村力松氏の協力により確認した記録を見つけました。昭和23年当時、既に、除雪車4両(雪3〜6号、6号は1997年迄健在でした)の旧番号は判らなくなっていた模様です。

しかし、その後、和久田様より情報をご提供いただき、45両全ての東京時代の車輌番号を特定することができました。
      
                                                         
                          
東京時代の車両番号 函館市電での
車両番号
車体更新年・工場/備考
当初の番号 大正14年
改番後
563 52 201 大正11年11月 田中車輌工場
697 56 202
597 58 203
600 60 204
847 63 205 大正11年12月 田中車両工場
864 64 206
870 65 207
980 74 208
928 76 209
369 80 210 大正11年 雨宮製作所(東京/深川)
411 81 211
262 79 212
262 79 210 大正11年12月 雨宮製作所(深川)
369 80 211
411 81 212
412 83 213
338 86 214 大正12年3月 雨宮製作所
348 87 215
357 90 216 大正11年 雨宮製作所
360 91 217
330 92 218
301 93 219
397 95 220 大正12年 雨宮製作所
415 97 221
395 96 222
395 96 221
415 97 222
373 101 223
391 102 224
414 103 225 大正11年 雨宮製作所
549 37 226 大正9年梅鉢鉄工所(大阪/堺市)
623 40 227
717 41 228
716 44 229
648 45 230 大正11年 田中車輌工場
586 48 231
591 49 232
593 50 233
289 84 234 大正12年雨宮製作所
372 94 235
638 33 236 大正9年梅鉢鉄工所
683 34 237
521 36 238
180 27 239
677 38 240
115 4 241 大正9年 市電浜松工場
130 12 242(雪5) 大正9年 市電浜松工場 (廃車)
630 32 243(雪6) 大正9年 梅鉢。1997年廃車
520 35 244(雪3) 大正9年 梅鉢鉄工所 【現役】
128 11 245(雪4) 大正9年 市電浜松工場 【現役】


・高松氏が調査をされた、東京市電より函館水電へ売却した45両の内
 判明した40両
・川上氏が調査をされた、除雪車を除く41両の東京市電時代の旧番

この2つを一緒にして上の表を作成しました。
後に、和久田様より情報をご提供いただき、7箇所の誤りを訂正しました。
また、除雪車改造の為、川上氏の調査では判明しなった4両について、
和久田様の調査結果を反映させていただきました。
緑色の部分 が訂正及び追加情報です。

雪3〜5号は嬉しいことに、除雪車として現在も健在です。
明治生まれの貴重な3両、45両の生き残りの3両が、
いつまでも元気でいてくれることを願っています。


雪3号と4号は嬉しいことに、除雪車として現在も健在です。
明治生まれの貴重な2両、45両の生き残りの2両が、
いつまでも元気でいてくれることを願っています。


なお、「当初の番号」別に見た、製造年等の情報は次の通りです。

・1〜250...「東京電車鉄道」で明治36年〜37年の製造。
         車体は日本車輌、天野工場、自社工場等で製作。
         台車はぺックハム社製。電動機はデッカー社及びGE社製。

・251〜749...「東京市街鉄道」で明治36年〜38年の製造。
          車体は大塚工場、天野工場等で製作。
          台車は、ぺックハム社、ジョンバット社製。
          電動機はデッカー社及びGE社製。

・750〜779...「東京鉄道」で明治40年に製造。
          車体は日本車輌製。台車はぺックハム社製。
          電動機はGE社製。
          この30両は、1台もヨヘロ型に改造されませんでした。
          東京市電時代は、ヨテ型若しくはヨヘテ型とよばれましたが、
          函館には1台も来ませんでした。

・780〜820...空き番号。この番号は東京市電では、当初使用
          されませんでした。但し、東京都電になった後、
          昭和22年に小型ボギー車を製作した際、801〜840の
          番号を使用しています。

・821〜1000...「東京電気鉄道」で明治37年〜39年に製造。
          車体は平岡鉄工所(注)、日本車輌で製作。
          台車は、ブリル21E。
           
      (注)平岡鉄工所は、汽車製造株式会社東京工場の前身。
          なお、汽車製造は、1972年に川崎重工株式会社に合併されています。


・10401〜10600...東京市電で、大正12年〜13年に製造。
             車体は自社工場(電気局)、鶴見木工所、
             東洋電機車輌部小倉工場、東京ガス電気工業、
             大阪鉄工所等で製作。台車はブリル21。
             一部は251型、750型、821型を改造して製作した模様。
             この200両は大正14年の改番で401〜600に
             なりましたが、函館には1台も来ませんでした。


■参考文献
  ●『函館市電』(川上幸義氏)
    −「もはゆに」誌No.7( 1948年12月)...「東京鉄道同好会」の会報
  ●『函館市電 その后』(川上幸義氏)
    −「Romance Car」誌No.8(1949年12月)...「東京鉄道同好会」の
      会報
  ●『都電車両50年のあゆみ』(高松吉太郎氏)
    −「鉄道ピクトリアル」誌No.121〜131(1961年8月〜1962年5月)の
      連載記事
  ●和久田様よりご提供いただいた情報
   『東京市電ノート』からの抜粋記事
    −「とろりい・らいんず」誌(1977年10月)「日本路面電車同好会」の
      会報

  ●「購入東京車主要改修一覧表」(昭和10年 帝国電力株式會社)

「Romance Car」の事を知ったのは、『資料・日本の私鉄』(和久田康雄様)の参考文献のページのところに記載されていたからです。そこに川上氏の訂正記事が書かれていました。そして、「Romance Car」から「もはゆに」の事を知ることができて、当時交通局に勤務されていた松村力松氏の協力による川上氏の詳細な記事を見つけることができました。
貴重な文献を、後世の人へ残してくださった川上氏、松村氏、高松氏に感謝いたします。そして、貴重な文献にめぐり合わせてくださり、さらに情報をご提供くださった和久田様に心から御礼申し上げます。

なお、「東京鉄道同好会」は「鉄道友の会」の前身となった会です。

■2003年1月23日
 「国立公文書館」に保存されている資料の中に、帝国電力株式會社の作成した『購入東京車主要改修一覧表』がありました。この資料をもとに、東京市電時代の車番を一部訂正いたしました。また車体更新年等の情報も追記、若しくは訂正いたしました。 
茶色の部分 が車番の訂正箇所です。
 貴重な除雪車3両は、明治生まれですが、車体は何れも大正9年に、梅鉢鉄工所、若しくは市電浜松工場で車体更新をされていることがわかりました。

 補足
 ・田中車輌工場...尼ケ崎→現在の「近畿車輛株式会社
 ・雨宮製作所...東京/深川。
 ・梅鉢鉄工所...堺→現在の「東急車輌株式会社
 ・市電浜松工場...東京/浜松。
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(2001年11月24日/2002年1月7日訂正及び追記)
(2003年1月21日一部訂正及び追記)
(2003年8月8日 雪5号 「現役」→「廃車」へ訂正)


 

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