500型の落成写真
 500型の誕生  車輌メーカーも絶賛した優れた設計と当時の貴重な落成写真

 1921年(大正10年)に誕生した50型(旧500型:47〜52号、改番後50〜55号)は、函館水電の葛西民也氏(後の交通局長)が概要設計を行い、白旗 譲氏が詳細設計を担当されました。車両の製作を担当した堺市の梅鉢鉄工所(うめばちてっこうじょ 現:東急車輌株式会社大阪製作所)の技師たちは、白旗氏の作成した図面をみて絶賛したそうです。残念なことに6両は函館大火で全て焼失しました。

1943年(昭和18年)11月に函館市役所交通局が発足したとき、道南電気軌道株式会社より引き継いだ車輌は、除雪車6両を含めて全部で82両ありました。82両の中で、ボギー車は400型(京王電気軌道からの木製中古車)の6両だけで、あとは全て単車でした。戦時中の混乱から落ち着きを取り戻しはじめると、車輌にも動きが出はじめます。

 輸送力の増強を図るため、再びボギー車の設計が自社で行われます。このときも、白旗技師が詳細設計を担当しました。これが500型です。白旗技師の作成した図面は、車輌の製作を担当した日本車輌株式会社の技師達から驚かれ絶賛されました。葛西局長が日本車輌の技師たちとお話をした時、「これほど優秀な技術をもっている人はわが社にもいない。もう少し、年齢が若ければ、是非譲っていただくところだが...」と言われたそうです。かつて、函館市交通局には、東急車輛や日本車輌といった車両メーカーが、驚き絶賛する技師がいたのです。

500型設計図(『日車の車両史 図面集−戦後私鉄編』)
図面日付:昭和23年7月7日 図面番号:ハ−2541ノB 東京

昭和23〜25年 蕨 30両製造 形式500 番号501〜530 直流600V
台車 日車K10 定員80(内座席28)人
戦後まもなく大量増備された13mクラスの大型ボギー車、
その後も長らく函館市電の主力として活躍。製造当初はダブルポールを備えていた。
図版協力:日本車輌製造株式会社


昭和23年から25年にかけて、日本車輌製造株式会社東京支店蕨工場において、30両製造されたことがわかります。
500型の製造ロットは4つに分かれていました。製造年月は次のとおりです。

   501〜515...昭和23年11月
   516〜520...昭和24年12月
   521〜525...昭和25年5月
   526〜530...昭和25年11月

   参考文献...「急電101 Vol.6」(昭和35年7月 京都鉄道趣味同好会発行)

急電101は、鉄道の研究を行っていた京都の大学生・重沢 崇氏が、函館市交通局を訪問し、昭和35年当時の函館市交通局の協力を得て執筆されたものです。当時の函館市交通局には、500型が導入された当時のことを知る職員の方々が、まだたくさん在籍されていたことでしょう。

501号の落成写真 昭和23年10月(許可を得て掲載)
前面の車番は向かって右側でした(現在の530号では左側に表示)。
この写真ではわかりませんが集電装置は「トロリーポール」でした。
写真協力:日本車輌製造株式会社

501号の落成写真「車内の様子」 昭和23年10月(許可を得て掲載)
座席は板張りで、クッションはありません。
写真協力:日本車輌製造株式会社


 日本車輌製造株式会社の記録では、501号の製造は「昭和23年10月」になっています。同一ロットの15両全てが10月なのかは不明です。製造ロットが同一とはいえ、501〜515号の15両全てを「昭和23年10月」としてしまうことは、適切ではないと考え、ここでは、急電101の情報をもとに502〜515号については「昭和23年11月」といたしました。11月には15両全て完成していたことは、ほぼ間違いないからです。とはいえ、501号だけではなく、515号までの15両全てが昭和23年10月に完成していた可能性はあります。

 昭和39年に出された「市電50年のあゆみ」(函館市交通局)には、年表の中に「昭和23年11月21日 新電車8輪2軸ボギー電動客車13両(501〜513号)就役。」と記述されています。514、515の2両の就役が遅れた理由は不明ですが、昭和23年11月に第一ロットの15両が納車されていたことは間違いないでしょう。また、「市電50年のあゆみ」では、「電車車両諸元一覧表(1963年10月現在)」の中で、500型の製造年月が「昭和23〜25年」であることを明記しています。


 『ウィキペディア(Wikipedia)』の「函館市交通局500形電車」は、製造年月と認可日とを取り違えて掲載しているようです。車両メーカーの製造年月と、運輸省(現:国土交通省)の認可日とは、意味が異なります。昭和23年の製造が501と502号の2両だけとか、521〜530号が昭和26年3月の製造である等、全く史実とは異なる内容が書かれています。ウィキペディアは参考になりますが、誰でも自由に編集できますので、記事を鵜呑みにすると危険である場合があります。

501号は、残念ながら昭和48年(1973)10月に梁川車庫の閉鎖と共に廃車となりました。
現存する500型の車両は、AMUSEMENT TRAM(旧505号⇒改番⇒新501号)と530号の2両だけです。

製造
ロット
車番 製造年月 認可日 備考
501 昭和23年10月 昭和24年9月28日 昭和48年(1973)10月廃車(急電101の情報では昭和23年11月製造)
502 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和48年(1973)10月廃車
503 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和60年(1985)廃車 
504 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和60年(1985)廃車 
505 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和62年(1987)2月、車体更新と同時に501へ改番
平成7年(1995)7月、用途変更 2代目のカラオケ電車となる
平成19年(2007)4月 AMUSEMENT TRAMとなる
506 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和60年(1985)廃車 
507 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和61年(1986)10月廃車
508 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和61年(1986)10月廃車
509 昭和23年11月 昭和24年9月28日 昭和62年(1987)3月、用途変更 カラオケ電車となる
平成7年(1995)7月廃車
510 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成3年(1991)4月廃車
511 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成3年(1991)4月廃車
512 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成3年(1991)4月廃車
513 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成4年(1992)9月廃車
514 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成4年(1992)9月廃車
515 昭和23年11月 昭和24年9月28日 平成4年(1992)9月廃車
516 昭和24年12月 昭和25年9月30日 平成5年(1993)4月廃車
517 昭和24年12月 昭和25年9月30日 平成5年(1993)4月廃車
518 昭和24年12月 昭和25年9月30日 昭和39年(1964) 706へ車体更新。昭和54年(1979)3月廃車
519 昭和24年12月 昭和25年9月30日 平成5年(1993)4月廃車
520 昭和24年12月 昭和25年9月30日 平成5年(1993)4月廃車
521 昭和25年5月 昭和26年3月6日 平成5年(1993)4月廃車
522 昭和25年5月 昭和26年3月6日 平成5年(1993)5月廃車
523 昭和25年5月 昭和26年3月6日 平成5年(1993)5月廃車
524 昭和25年5月 昭和26年3月6日 昭和54年(1979)3月廃車
525 昭和25年5月 昭和26年3月6日 平成6年(1994)3月廃車
526 昭和25年11月 昭和26年3月6日 平成7年(1995)3月廃車
527 昭和25年11月 昭和26年3月6日 平成7年(1995)3月廃車
528 昭和25年11月 昭和26年3月6日 平成9年(1997)3月廃車
529 昭和25年11月 昭和26年3月6日 平成19年(2007)3月廃車
530 昭和25年11月 昭和26年3月6日 就役中
500型の「製造年月」と「認可日」


530号の落成写真 撮影地:駒場車庫 昭和25年11月(許可を得て掲載)
前面の車番は向かって右側でした(現在は左側に表示)。
集電装置は「ビューゲル」を装着しています。
写真協力:日本車輌製造株式会社

530号の落成写真「車内の様子」 駒場車庫 昭和25年11月(許可を得て掲載)
座席は板張りで、現在のようなクッションはありません。
写真協力:日本車輌製造株式会社

530号車内の「車両検査証」
製造年月に「26年3月」とありますが史実とは異なります。
認可された年月を記載したものと思われます。
「製作年月」に「26年3月」とありますが、これはメーカーの「製造年月」ではありません。

530号車内の製造プレート
「昭和二十五年 東京」とあり、史実と一致しています。


 函館市交通局のHPには、530号に関して、「購入年月日」が「昭和27年5月31日」であると記載されています。9601号(らっくる号)については「購入年月日」が「平成19年3月20日」と記載されています。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/transport/gallery/index.htm

函館市交通局のHPでは「購入年月日」が掲載されているのであり、これらは、「製造年月」ではありません。HPを参照する際は、「購入年月日」を見て「製造年月」と思い込まないように注意をする必要があります。車両メーカーと売買契約を行った日をもって購入とするのか、就役を開始した日をもって購入とするのか、代金の支払い開始をもって購入とするのか、それは車両メーカーとの取り決めや会計基準によって左右されることですので、その都度変わることもあるでしょう。いずれにせよ、メーカーの「製造年月」ではありません。

日付 意 味 530号 9601号
製造年月 車両メーカーが製造した年月 昭和25年(1950)
11月
平成18年(2006)
12月
認可日 監督官庁(国土交通省など)から認可が下りた日 昭和26年(1951)
3月6日
就役開始日 事業者が車両を事業の用途に供した日 平成19年(2007)
3月20日
購入日 車両メーカーとの取り決め(売買契約)や会計基準によって左右される 昭和27年(1952)
5月31日
平成19年(2007)
3月20日

 ちなみに、9601号の「6」は、「2006年」の「6」に由来しています。製造が2007年であったなら、9701号になっていたのかもしれません。530号の購入日は、昭和27年(1952)5月31日となっています。製造年月の昭和25年11月とは、ずれがあります。30両もの大量購入ですから、車両の動作検証に時間を要したのかもしれません。1事業年度走行させて、不具合がなかったら代金を支払うとか、そんな取り決めであったのかもしれません。

 530号は、函館市電の現役の一般客車の中では一番車体の古い車両です(事業用の除雪車や、平成5年に車体更新をしている箱館ハイカラ號を除きます)。道南電気軌道株式会社から電車事業を譲り受け、函館市の運営による函館市電が誕生してから、はじめて新造された電車、それが500型です。新生函館市電、函館市交通局誕生の象徴的な存在のようにも思えます。500型が誕生した当時の葛西交通局長、概要設計を担当された渡辺工務課長、詳細設計を担当された白旗技師、製造を担当された日本車輌製造株式会社東京支店蕨工場の皆様、そしてこれまで500型をささえてきた多くの関係者の皆様に感謝をする意味でも、正しい歴史を伝えていかなければならないと思います。

 500型は、日本車輌製造株式会社に製造していただきました。しかし、設計は函館市交通局の白旗技師が担当されたのです。車両メーカーが設計から製造まで一貫して行う近年の車両とは重みが違うと思います。自社設計の車両が現役で活躍しているのは、函館市交通局と土佐電氣鉄道株式会社(600形)くらいではないでしょうか。「自社発注」の事例はたくさんありますが、「自社設計」というのは、あまり他に事例を聞いたことがありません。車両メーカーも絶賛した白旗技師の設計による500型が、子供達、孫達の代までもずっと残されることを願っています。同時に、製造年月の記録など、正しい歴史が伝えられることが必要であると思います。

貴重な落成写真の使用許可をくださった日本車輌製造株式会社の宮坂様に、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございます。

■参考文献
 ・『日車の車両史 写真集−創業から昭和20年代まで 』(日本車両鉄道同好部/鉄道史資料保存会)
 ・『日車の車両史 図面集−戦後私鉄編』(日本車両鉄道同好部/鉄道史資料保存会)
 ・『市電50年のあゆみ』(昭和39年10月 函館市交通局)
 ・『急電101 Vol.6』(昭和35年7月 京都鉄道趣味同好会)
 ・『続函館市史資料集(第1号)』(昭和46年3月 函館市)


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