西暦に関する豆知識


Q7.「グレゴリオ暦」ってどんな暦なの

・私たちが、今日使っている暦です(^_^)。
・「グレゴリオ暦」の他に「グレゴリウス暦」と呼ぶ場合もあります。
・私は、個人的には「リリウス暦」と呼びたい(^^;)。
 この先を読んでいただければ、理由がわかります。

・ユリウスによって、制定されたユリウス暦は、1年を365.25日と考えました。
 ディオニュシウスのキリスト紀元が受け入れられるようになり、
 紀元が「ユリウス制定時点」から「キリスト生誕」にかわっても、そこで使われる
 のはユリウス暦に違いありませんでした。つまり4年に1度366日、
 平年は365日です。

・ところが、365.25日というのは、正確ではないのです。
 地球が太陽の周りを1周するのにかかるのは、
 正確には平均365.242199日だそうです(^^;)。
・「365.25日でも、ええじゃないか...。」
 私もそう思いますが...(^^;)ヲイヲイ。
 でも、1周にかかる時間は365.25日より少し短くてすんでいるのですね。
 で、この差は約11分14秒です。
 実際より、11分14秒多く必要という計算です。
 4年に1度うるう年を設けるやり方(1年=365.25日=365日と6時間)は、
 1年当たり11分14秒の誤差を吸収できないのです。

・地球は、実際には、ユリウス暦の数え方よりも、11分14秒早く、
 太陽を1周しているわけです。

・ユリウス暦は、地球の動きを、実際より11分14秒遅く、見積もったのです。
 でも、当時の天文学の精度からすれば、これだけの誤差しかないのですから、
 驚異的な精度だと思います。古代エジプトで紀元前2000年以上前から、
 これだけしか違わない数値を出していたのですから、すごいことですよね。

・4年に1度うるう年を設けても、128年間で1日の誤差が生じてしまいます。 
・この誤差が積み重なって、1570年頃には、10日間の誤差が生じていました。
 例えば本当は、3月21日とすべきところを、うるう年が多すぎたために、
 実際は、まだ3月11日に留まっていたりしました。

・太陽の周りを回る地球の位置からすれば、3月21日が妥当なのに、
 うるう年が入りすぎたのが何百年もの間積み重なって、
 日数の進み方(=年の進み方)が遅れて3月11日と数えていたということです。

・1570年ころから、当時の教皇グレゴリウス13世の命により、改暦委員会が
 組織され、改定作業が始まったそうです。
・この改定作業に大きな貢献をしたのが、イタリアのアロイシウス・リリウス
 というお医者さんです。
・リリウスがいなければ、今日の暦は、いまだに混乱していたかもしれません。
400年に3日は、うるう年に該当させない。つまり、

 (1)4年に1回のうるう年の原則は、ユリウス暦どおりで変えない。
 (2)上記(1)の例外として、100で割り切れる年は、うるう年から除く。
    だけど、400で割り切れるなら除くのはやめて、うるう年にする。

 という、今日のうるう年の数え方を考えたのは、彼です。


  →西暦1600年、1700年、1800年、1900年は、
   4で割り切れますが、100で割り切れますから、うるう年ではありませんでした。
   西暦2000年は、400で割り切れますから、うるう年ですね。

・これには、いろいろ反対意見もありました。天文学的には厳格とは言えない
 とかですね。でも、134年に1回とか、わかりにく数え方にはしたくなかった
 のですね。そこで、結局、彼の考え方が採用されました。
・この考え方は、1年の平均が365日5時間48分20秒になります。

・実際の地球の動き  365日5時間48分46秒(365.242199日)
 グレゴリオ暦     
365日5時間48分20秒(365.2425日)
 ユリウス暦       
365日6時間 (365.25日)


・1年あたりの誤差が11分14秒から、26秒だけになりました。
・グレゴリオ暦の場合、2621年に1日の誤差しか生まれません。
 ユリウス暦の128日に1日の誤差と比べると、とても精度が上がりました。

・さて、もうひとつのウルトラCがあります(^^;)。
・1582年10月4日の次の日は...。
 10月5日ではなくて、10月15日でした(^^;)。

・「ユリウス暦1582年10月4日」
  →次の日は「グレゴリオ暦1582年10月15日」


・これも、リリウスの提案が採用されて実施されたものです。
 ユリウス暦の誤差の積み重ねで、
 春分の日が、 実際より10日ほどずれていたために、
 彼は、先40年間のうるう年をスキップするか、
 いっきに10日間を取り除き、
 日にちの遅れを取り戻すことを提案したのです。

・10日間スキップが採用されました(^^;)。
・教皇の命を忠実に受け入れた、カトリックの国々では、
 1582年10月5日〜10月14日は、存在しません。


・冬至を1月1日にしようとか、春分の日は3月21日に固定したほうが
 わかりやすいとか、そういった提案も他の人からあったそうですが、
 それらは実現しませんでした。

・グレゴリオ暦は、世界であっという間に広がったわけでもなくて、
 それぞれ各国の事情で、導入時期は異なります。
 ですので、同じヨーロッパでも、
 「ユリウス暦1582年10月5日の朝」を迎えた国はあります。

・キリスト教って、「プロテスタント」、「カトリック」とか「ギリシャ正教」とか、
 いろいろ宗派がわかれていますしね(^^;)。

・そもそも、ローマ帝国が、西と東に分かれてから、
 いろいろと宗派がさらに別れたみたいですけど。
 神父さん(ファーザー)と牧師さん(ブラザー)の違いも
 生まれたとか(^^;)??
 話がそれるので、これくらいにして、本題に戻りますが、
 各国のグレゴリオ暦の導入年代は、おおよそ次のとおりです。

 1582年:イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ポーランド
 1587年:ハンガリー
 1700年:ドイツ、オランダ、デンマーク
 1752年:イギリス
 1753年:スウェーデン
 1873年(明治6年):日本
 1912年:中国(あまり広まらず、実質的には1949年からだそうです)
 1915年:ブルガリア(1912年、1916年という説もあるそうです)
 1918年:ロシア
 1919年:ユーゴスラビア、ルーマニア
 1924年:ギリシャ

・グレゴリオ暦にしろ、ユリウス暦にしろ、
 キリスト紀元の暦に変わりはないのですが、
 プロテスタントやギリシャ正教の国々が、導入を遅らせたのは...。
 たぶん、カトリックの教皇に従いたくなかったというのが一番の理由だと思います。
 世の中が国際的になるにつれて、合わせなくては不便なので、徐々に広まった
 ということでしょう。

・日本では、明治5年12月2日の次の日は、明治6年1月1日でした(^^;)。
 1582年当時、グレゴリオ暦導入の10日消失の混乱と同じようなことが、
 日本でも起きたようです(^^;)。

                               (1999年12月4日)
   


        
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