西暦に関する豆知識
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・1月って寒い時期ですね。南半球のオーストラリアとかですと夏ですが(^_^)。 北半球では、寒い季節です。 ・古代の人々は、日が昇って沈むまでの「お昼の長さ」を、生き物の成長のように 考えました。 ・冬至が、お昼が一番短くて、お昼の死をあらわし、冬至をすぎれば、徐々に また、お昼の時間が長くなっていく。 ・冬至は、「お昼」にとっては死であり、同時に再生でもあったわけですね。 ・そこで、冬至のある次の月が1年のはじまりというふうに考えました。 ・冬至が過ぎて、お昼の時間がだんだん長くなって、それは夏至で最長に達し、 また、だんだん短くなっていき、冬至で1年の死となる。そして、また新しい 1年が生まれる。人の一生のように考えたのかもしれません。 ・でもすべてがそういった考え方ではなくて、 ローマ暦のように、春分を1年のはじまりに考える考え方もあったのですね。 ・ローマが、ローマ暦からユリウス暦に切りかえられたとき、年の始まりの基準も 春分から、冬至にかわっています。 ・ということで、寒い時期=お昼の長さが短い時期が、1年の始まりに選ばれた ようです。 【別説】 ・1月は英語で「January」ですが、 この語源はローマの「Januarius(ヤヌアリウス)」です。 これは、ローマの門神「Janus(ヤヌス)」を称えて命名されました。 ローマの古い暦(ロムルス暦)は、10ヶ月しかなく日数も304日でした。 これでは不都合が生じる為、やがて2ヶ月が加えられます。 それが、「Januarius」と「Februarius」です。これで1年は12ヶ月になりました。 でも、日数は355日しかありませんでした(ヌマ暦(太陰暦))。 この2ヶ月は、付け加えの為、当初はそれぞれ11月と12月になっていました。 ちなみに、9月は「November」、10月は「December」、1月は「Martius」でした。 ヤヌスは門の神であると同時に、行動のはじめを司る神でもあったそうです。 そこで「行動のはじめ」という意味から、次第に年の始めの月にふさわしいと 考えられるようになったようです。 そこで、ヌマ暦が改革されて、1月が「Januarius」、2月が「Februarius」 3月が「Martius」...のように変更されました。ちなみに11月が「November」、 12月が「December」へと変わりました(改良型のヌマ暦(太陰暦))。 かくて、春分の暖かい時期「Martius」から、 寒い時期の「Januarius」(現在の「January」)へと、 年の初めの月が変わったのです。 エジプトの太陽暦をお手本にできた「ユリウス暦」ですが、 ローマの改良型ヌマ暦を継承している為、 寒い1月がそのまま年の初めになったようです。 ユリウス暦をスタートするとき、 おもいきって春の暖かい時期を「Januarius」に変えてしまえば、 古来のローマの時代どおり、現在の私たちのグレゴリオ暦も 春から1年がスタートしていたかもしれませんね。 そうしなかったのは、たぶん、「Martius」というのが 軍神マルスでありローマの最高神であったため、 「Januarius」に置き換えてしまうには無理があったのだと 思います。 (2000年7月18日、20日、別説を追記)
・ユリウス暦は、紀元前46年にローマで始まりました。 ・ということは、これを書いている西暦1999年って....。 本当は、今は西暦2045ではないの(46+1999)? だって、ユリウス暦は、西暦元年1月1日にスタートしたのではないの ですよね??これ、どういうこと(^^;)?? ・実は、私たちが現在使っている西暦は、ユリウス暦ではないんです。 グレゴリオ暦ですね。 ・ご存知の方もいらっしゃるかもれしませんが、1582年に ユリウス暦からグレゴリオ暦に変更するときは10日しか調整していません。 ・グレゴリオ暦に変わったからではないのですね。 ・では、これはどのように考えたらよいか...。何故?? ・Q1をみていただくとわかるように、4〜6年の誤差があるといはいえ 私たちの現在の暦は、キリストの生誕を基準にしています。 ・つまり、ユリウスがローマでユリウス暦を導入した時点、紀元前46年を 基準にはしていないのです。 ・ユリウス暦がはじまって46年後にキリストが生誕したわけですね。 4〜6年の誤差を考えれば、本当は40年〜42年後に生誕したわけです。 ・後世に生まれた誰かが、 「ユリウス暦のスタートから46年後を、キリスト生誕」と計算し そこから「キリスト生誕が西暦のスタート」に考えられるようになったのです。 ・それは誰か。ディオニュシウスという人だそうです。 ・彼は、ユリウス暦でいえば577年において、 「今年はキリスト生誕から数えて531年目」だと計算したんです。 ・当時、ユリウス暦が存在したとはいえ、ユリウス暦577年目とは言わなかった そうですね。4年に1度の366日という、ユリウス暦の基準はそのままですが なんとか皇帝の統治何年目とか、ナントカ王の治世何年目とか相変わらず そんな使い方だったそうです。ユリウスよりも、自分を称えるよう、後世の教皇が 強制したりしたんでしょうね(^^;)?? ・彼は優れた数学者、天文学者でした。で、教皇ヨハネ1世から 「キリストの復活祭を祝うため、正確な日にちを計算するよう」頼まれたそうです。 そのときに、キリストの生誕した年も計算したようです。 そして、ナントカ教皇の治世何年目ではなくて、 「偉大なキリストの生誕を基準に年を数えるべきだ」と考えたのですね。 ・彼の計算は、4〜6年ずれてしまったようですが、それでも彼の功績は 変わらないと思います。 ・私たちが、キリストの生誕を基準とする年の数え方をしているのは 彼のおかげです。 彼がいなければ、私たちは、ユリウスが制定した年を 基準に数えていたかもしれませんね。 ・でも、このキリスト紀元の考え方は、すぐには広まりませんでした。 相変わらず、ナントカ教皇の治世何年目という数え方が続きます(^^;)。 当時の生活の中で、何百年というのは、あまりピンとこなかったのかも しれませんね。 ・ヨーロッパの各地で使われるようになったのは10世紀に入ってからだそうです。 ・このようにして、「ユリウス制定紀元のユリウス暦」から 「キリスト紀元のユリウス暦」へ次第に基準が変わっていったのです。 ・キリスト前、キリスト以後、つまり紀元前(B.C.= before Christ) 紀元後(A.D.=anno Domini 主の年)、という考え方も、 キリスト紀元の考え方から派生したものです。 (1999年12月4日、6日一部補筆) |