新聞記事の誤り訂正
新聞記事 ハイカラ號  平成26年(2014)4月16日の新聞記事

平成26年(2014)4月15日より、箱館ハイカラ號の今期運行がスタートしました。
翌日16日の新聞には、そのことが記事として掲載されていました。

私が拝見したのは、「読売新聞」です。
すべての新聞を拝見したわけではないのですが、誤った記述を見つけました。

故郷の路面電車を応援する者として、新聞に記事が掲載されたことは、とてもうれしいのですが、 その反面、間違った情報が発信されてしまうことが、とても残念でなりません。

引用ここから-------------------------------------------------
米国製のハイカラ號は、明治末期の1910年に千葉県成田市で運行を開始。

(中略)

台車は製造当時のものを使っており、運転士と車掌もレトロ調の制服を着用。
引用ここまで-------------------------------------------------


元を辿れば、天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で作られた日本製です。

台車は、交換されていています。製造当時は、英国製マウンテン・ギブソン21EMでした。
現在の台車は、交換されたもので、製造当時のものを使っていません。

新聞の発行部数を考えると、このサイトへ正しい史実を書いたところで、訂正の効果は薄いことでしょう。 ただ、「一人でもこの記事を見て、正しいことを知ってもらえれば」との思いで、この記事を書きました。

先人が築いた歴史を、後世の者が書き換えるような行為は、先人に対して非礼であると考えます。 もちろん、人がすることですから、思い込みや調査不足による間違いは、起こりえます。

また、間違いであることを知りながら、誤りを指摘せず放置することも、非礼なことだと思いました。 なので、自分ができる範囲で、このサイトに書かせていただいた次第です。


箱館ハイカラ號(30型39号)の略歴

明治43年(1910)に、天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で製作されました。
台車には、英国製マウンテン・ギブソン21EMが使われました。
現在の台車は、製作当時のものではなく、ブリル21Eへ変更されています。

・明治43年(1910)12月、千葉県成田市の成宗電気軌道(株)で運転開始

・大正7年(1918)に成田電気軌道(株)(旧・成宗電気軌道)より5両を購入
 成田時代の車番は不明ですが、函館では、36号〜40号となりました。

・大正15年(1926)1月20日の新川車庫火災で37,40号が焼失

・昭和9年(1934)3月21日の函館大火で36,38号が焼失。5両中39号だけが無事に残る

・昭和12年(1937)ササラ式(ブルーム式)除雪車に改造。雪2号(排2号)となる

・平成5年(1993)路面電車開業80周年、市営交通発足50周年の記念すべき年に客車へ復元

・平成5年(1993)8月2日より「箱館ハイカラ號」として運転を開始


   





■関連記事

 『台 車2』箱館ハイカラ號(39)の台車は成田時代のものから変更



(2014年4月17日掲載、19日一部追記)


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