定点写真
 新旧対比  (7)末広町

140号−函館市交通局 『走りました80年』より 交通局の許可を得て掲載

末広町電停付近の8001号 2002年4月 田澤様撮影

末広町の写真です。昔は「末廣町」と書いていました。
この140号の写真は1932年(昭和7年)頃のものと思われます。
昭和7年の撮影とすると、この記事を書いている時から数えて
70年前になります。遠ざかっていく電車を後ろから写したものです。

140号は100型の最後の車輌で、
鉄道省の認可は昭和7年4月6日付になっています。
認可よりも前に完成しているのが通例ですので、140号も、実際は
昭和7年よりも前に完成していたのかもしれません。
もともとは、10型車でしたが、10型車の台車を流用し、
函館水電の自社工場で車体を製作して100型140号にしたと
考えられます。10型車時代の車番はわかりません。
堺市の梅鉢鉄工所(現 東急車輌株式会社大阪製作所)で
製作された101〜107号を参考に、その後は自社工場で車体を
製作したのですが、設計、製作共に大変高い技術力を持っていました。

140号は、1934年(昭和9年)の函館大火でも焼失せずに残った、
16両の中の1両でした。1941年(昭和16年)に、改番によって108号
となり、戦後も活躍していましたが、1957年(昭和32年)7月に廃車と
なりました。700型(701〜705号)の増車に伴い、余剰と判断された
為です。残念なことに、残った100型も1959年(昭和34年)に全て
廃車となりました。104〜106号は、その後も花電車として残されま
したが、1971年(昭和46年)に廃車となりました。

昭和9年の函館大火後、都市計画実施の際に道路幅員が拡大された
関係で、当時と比べると道幅が随分広がったことがわかります。
建物が新しいビルに変わっているようですが、時代の流れでしょうか。
取り壊された建物は文化財として残す価値は無かったのでしょうか。
ちょっと寂しい気もいたします。

140号の写真ですが、左手に「おかもち」を持って自転車に載っている
人が写っています。田澤様の写真にも自転車に乗っている人が、同じ
ような位置に写っているのですが、偶然なのでしょうか..。まさか、
電車と自転車のタイミングをひたすら待っていただいたとか...(汗。

田澤様が撮影された8001号は、
1990年(平成2年)に803号を車体更新したものです。
いつまでも元気で活躍してくれることを願っています。
 
前のページへ戻る戻る
 (2002年10月14日掲載)

 

トップページ
乗車料金と所要時間
函館市電の歴史
昔の車両のご紹介
車両のご紹介
営業路線のご案内
資料・情報館
写真館
リンクのコーナー
写真の著作権
コンテンツ一覧