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新旧対比 |
(5)十字街交差点(宝来町方向) |
(凾 館)商業の中心 凾館十字街の殷賑(津軽要塞司令部許可)
昭和6年、125号、129号、126号 昭和初期の絵葉書−光司所蔵
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十字街交差点の3004号と718号 2002年4月 田澤様撮影
函館市交通局が1964年(昭和39年)に発行した
『市電50年のあゆみ』の27ページにも、同じ絵葉書が掲載されています。
絵葉書の右下には「THE BUSTLING SCENE OF THE CROSS ROAD. HAKODATE.」といった英語の表記もあります。
はがき面をみてみると、切手を貼る部分には「Taisho Hato Brand」と
書かれ右下には、鳩が翼を広げているマークが描かれています。
「大正鳩」というのをブランドマークにした会社が作成したようですが、
会社名はわかりません。
また、「Made in Wakayama.」と書かれているので、
和歌山県の会社であることがわかります。
写真には、左から125号、129号、そしてずっと離れて126号が写っ
ています。126号は、倍率の高い虫めがねで、やっと車番が確認できる
大きさです(汗。125号の左側には、薬とタバコを売っている「ヘルプ」と
いうお店、パンと食料品を売るお店、十字屋という名前のお店、
「北日本一 小樽新聞」という看板を掲げたビルなどが写っています。
手前右側は、野菜、果物や お酒を販売するお店のようです。
絵葉書に撮影年等の記載はありませんが、『市電50年のあゆみ』で
昭和6年と紹介されています。
125,126,129号は、大正15年に東京市電より購入した20両の内の
3両で、函館水電株式会社新川工場で車体更新を受ける前は
200型の車番(201〜220号)でした。車体更新と同時に
スタイルが変更になり、100番台の車番に変わりました。
昭和6年の撮影ですので、この記事を書いている時から数えて
71年前になります。
この絵葉書の写真の3年後の昭和9年に函館大火がありました。
残念なことに、125,126,129号は、いずれもこの時焼失しています。
函館大火後、都市計画実施の際に道路幅員が拡大されて、
カーブ半径が大きくなったので、市内線全てにボギー車の運転が
可能となりました。それまでは、湯の川線(大門-湯の川間)しか
ボギー車は運転できませんでした。
ですので、絵葉書の写真の当時は、カーブ半径を改善する前の路線の
もの、道路の幅員が拡大される前のものです。
田澤様が撮影してくださった新しい写真は、撮影地点が遠くの
ように見えますが、その事が影響しています。函館大火以降レールを敷き
なおしたことで、電車の走行地点が変わった為に、また道幅も変わった為に
電車だけをみると、撮影地点が違って見えてしまいます。
レールの位置が変わってしまっているのに、電車の大きさをあわせようと
カメラのレンズを望遠にすると、建物が写らず電車だけの写真になってしまう
ことでしょう。できるだけ違いが無いように撮影するのは難しい事だったと
思います。また、絵葉書のように、複数の車輌を入れる為に、
タイミングを図ってずっと電車を待っていてくださったに違いありません。
絵葉書を見ていただくと、線路からさほど離れていない場所に
お店が並んでいるのをご覧いただけることと思います。
それに比べると現在の道が、随分と広くなっていることが、
ご覧いただけることでしょう。
地元の歴史にもお詳しい田澤様に撮影していただけたことを、
あらためて感謝しています。
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(2002年7月7日掲載)
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