定点写真
 新旧対比  (1)湯の川電車終点

(凾館郊外名所)湯の川電車終点(凾館要塞司令部御許可)
白土貞夫様所蔵の絵葉書−許可を得て掲載
「函館要塞」が「津軽要塞」に変わったのは昭和2年ですので、この絵葉書はそれ以前に発行されたものです。写真は、大正末期頃のものと考えられます。

湯の川終点付近を走る39号 2003年5月15日 田澤様撮影

湯の川終点の715号 2002年4月 田澤様撮影

湯の川の電停の終点位置は、変更されています。
昭和20年7月に鮫川(湯の川温泉)−湯の川館の約480mが撤去されました。この当時は、単線でした。
昭和34年9月に湯倉神社前迄520mが複線で敷設され、後に道路改良により
現在の位置が終点となりました。

仮に上の絵葉書が大正15年のものだとすると、この記事を書いている時から数えて76年前になります。76年前の正確な位置を特定するのは難しいのですが、田澤様が交通局の方や地元の御年配の方にお尋ねいただいて割り出した位置で写真を撮影していただいたものです。

「昔の終点は、この辺、でも現在の終点は軌道が延長されていてもう少し先.....」ということで、田澤様が苦心をして撮影してくださった写真です。

本当は、同じ39号だとよかったかもしれませんが、箱館ハイカラ號は駒場車庫前−湯の川間は運転されませんので、代わりに715号をいれてくださいました。
 

田澤様より、たいへん珍しい写真をお送りいただいたので、追加で掲載させていただきました。5月15日に「全国建築板金組合函館大会」の貸切車両として運行された箱館ハイカラ號です。箱館ハイカラ號は前述のとおり「駒場車庫前−湯の川間」は運転されないのですが、この日は貸切電車として特別に運転されたのです。
 
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 (2002年5月6日掲載/2003年5月16日追加掲載)

 

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