明治生まれの除雪車 雪5号 解体 2003/3/12
3月8日に、「明治生まれの除雪車 雪3号 解体」の記事を掲載いたしましたが、雪5号の誤りであることが判明いたしました。誤った情報を掲載し申し訳ございませんでした。訂正してお詫び申し上げます。改めて正しい情報をお伝えいたします。正しい情報をご連絡くださったPIUKA様にお礼申し上げます。ありがとうございます。 とても悲しい事ですが、掲載いたします。 函館市交通局には3両の除雪車(排雪車)がありましたが、その中の雪5号(排5号)が3月6日に解体されました。除雪作業は、業者へ委託しており、3両も必要が無いとの判断から、今回の措置が決定されたようです。 雪5号は、1903(明治36年)〜1904年の何れかの年に製作されました。製作した工場は、日本車両、天野工場、若しくは東京電車鉄道の自社工場の何れかですが、特定できません。 最初に活躍した場所は東京電車鉄道でした。1906年に、東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道の三社が合併し東京鉄道株式会社となりました。それを東京市が買収して1911年(明治44)年8月1日「東京市電気局」が発足し、東京市電が誕生しました。 東京市電時代は130号として活躍しました。 1920年(大正9年)には、東京市電浜松工場で車体更新を受け、ヨヘロ型と呼ばれる車体になりました。 関東大震災の後、生き残ったこの車両は、1925年(大正14年)の車番整理を受けて12号となりました。 1934年(昭和9年)3月21日に函館大火があり、たくさんの車両が焼失しました。車両を補充すべく、東京市電から45両の車両を買付しました。購入は5回に分けられて行われました。東京市電の12号は、5回目の買付(1935年)のときに函館にやってきました。 1935年6月27日に組み立てと点検が完了し、函館では242号の車番となりました。翌日から就役を開始しました。 1940年(昭和15年)には除雪車に改造され、雪5号となりました。函館に来てから客車として活躍したのは5年弱で、除雪車として活躍した期間のほうが長いのです。 雪5号の車体は解体され、台車は、「箱館ハイカラ號」 (1918年、成田電気軌道株式会社より購入。除雪車から客車へ復元され活躍中) へ流用される予定です。 明治生まれの貴重な文化財が無くなるのは、とても寂しいことです。 もう3両揃った姿を見ることはできません。 残る除雪車は雪3号と4号の2両だけとなりました。 PIUKA様のホームページに、3月8日、雪5号解体前の最後の写真が掲載されています。 是非ご覧ください。 PIUKA様の『電車とバスの博物館』
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