【15】805号:昭和46年(1971)8月 新世橋電停
3系統、ガス会社前経由、新世橋電停の805号です。
電停の名前が「新世橋前」ではなくて、「新世橋」時代の貴重な写真です。
「新世橋」から「新世橋前」に変更になった時期は存じておりません。
昭和60年(1985)の写真では「新世橋前」なので、それよりも前ということになりますね。
805号は、昭和37年(1962)7月、(株)新潟鐵工所で製造されました。
その後、平成7年(1995)アルナ工機(株)で車体更新を受け、同年3月31日より
8006号として運転を開始しています。
【16】703号:昭和46年(1971)8月 梁川車庫
梁川車庫の703号の前で、記念撮影をされたときの写真です。
701〜705号は、(株)新潟鐵工所で製造された車輌で、昭和32年(1957)
5月23日付で認可を受けています。
梁川車庫は、昭和48年(1973)10月1日で閉鎖されましたが、この703号もそのときに
廃車となりました。
【17】602号:昭和46年(1971)8月 梁川車庫
梁川車庫の602号の前で、記念撮影をされたときの写真です。
600型は全部で5両作られましたが、601〜604号の4両は、(株)新潟鐵工所で
製造されました。605号は、汽車製造株式会社東京支店で製造されました。
605号だけが、汽車製造株式会社東京支店での製造であったことに関する情報は、
「急電101 Vol.8. No.6」(京都鉄道趣味同好会:昭和35年6月)からのものです。
認可は昭和29年(1954)10月16日になっています。
602号も、梁川車庫の閉鎖と伴に廃車になりました。
【18】520号:昭和46年(1971)8月 梁川車庫
梁川車庫の520号です。
516〜520号の5両は、昭和24年(1949)12月に日本車輌製造(株)東京支店で
製造されました。認可は昭和25年9月30日になっています。
520号も残念ながら、平成5年(1993)4月1日付で廃車になっています。
【19】雪2号(排2号):昭和46年(1971)8月 梁川車庫
「箱館ハイカラ號」に復元される前で、しかも、トラ塗りになる前の珍しい貴重な写真です。
雪2号は、大正7年(1918)5月に成田電気軌道から購入したものです。成田時代の
車番は不明ですが、函館では39号になりました。昭和11年(1936)に、客車から除雪車へ
改造されました。平成5年(1993)に客車に復元され 「箱館ハイカラ號」となり、現在に
至っています。
(2007年1月3日掲載) |