【7】[8系統]五駅→万代→ドック→栄町→五駅循環系統。梁川車庫前電停の510号
クリーム色と黄緑色で塗装された新標準色の510号です。
1972年当時、500型は518号を除き501〜530号の29両が就役していましたが、
新標準色の500型は、この510号1両だけでした。とても貴重な写真です。
501〜509、511〜517、519〜530が標準色(濃紺+茶)、510と他の型式車両は
新標準色(クリーム+黄緑)でした。
当時は、電停に車道との境界ガードが設けられていなかった様子がわかります。
今日のように車の数も多くなかったので、安全対策としても問題にはならなかった
のだと思います。【3】の新世橋前電停の写真では、境界ガードが写されており、
次第に車の数が増えたことを物語っていると思います。
現在、500型は、529号と530号の2両だけが残っています。530号が、新標準色
ですが、当時の510号と現在の530号では、同じクリーム色と黄緑色でも、
塗装のしかたが異なっていることがわかります。
【8】梁川車庫前、[8系統]の515号と[10系統]の508号
循環系どうしがすれちがうところをとらえた、大変貴重な写真です。
500型の現存車両である529号と530号は、標準色と新標準色で塗装が異なる為、
このような姿は現在では再現不可能です。
電車のすれちがう姿だけではなく、梁川車庫前の電停表示、「車両は徐行願います」の
看板、安全地帯を表すV字型の標識、どれをとってもとても貴重な写真です。
【9】梁川車庫内の1001号(元東京都電7039号)
1001号のカラー写真です!
1973年(昭和48年)10月、梁川車庫の閉鎖により、600型、700型と運命を
共にして廃車となった1001号(元東京都電7039号)が、まだ元気だった頃の
貴重な写真です。1001号をカラーで拝見したのは初めてです。廃車となる1年前は
このような新標準色の姿であったことを初めて知りました。都電時代の色では無い
ことは存じていましたが、実際にカラーで貴重な姿を拝見できて嬉しいです。
1970年(昭和45年)2月に函館へやってきたのですが、電動発電機の問題で、
北国には適さないと判断されたようです。
1955年(昭和30年)7月4日に生まれてから、東京都電で頑張ってきましたが、
函館市電の時代はわずか3年半程で短いものでした。
電動発電機のタイプが異なる1006〜1008号の3両は、現在も活躍中です。
1000型は、急勾配は苦手ですが、平地では力のある車両です。
1001号の分まで、いつまでも元気で働いて欲しいと願っています。
【10】梁川車庫前の701号
700型のカラー写真です!
700型をカラーで見たのは、はじめてです。600型の時と同様、拝見したとき
大変驚きました...(滝汗。
700型の写真がカラーで残っているとは思っていませんでした。
鉄道雑誌でも、路面電車の写真集でも、700型のカラー写真が紹介されたことは
一度もありません。700型のカラー写真を保管されているのは、日本中の中でも
岸様だけかもしれません。
700型は600型同様、5両しか製造されておらず、特に700型は就役期間が
短かった為、写真自体がほとんど残されていません。
【9】の1001号と比べると、同じ変則窓でも1000型のほうが大きな窓であることが
わかります。何故、このような3枚の不思議な窓になったのか...。
はじめは謎でしたが、後から謎が解けました。これは、特に夏場、車内が暑くなる為、
運転席へ風を通す為の工夫だそうです。運転席の側面の窓から風は入りましたが、
客室へ風が入っても運転手の場所は涼しくならなかった為、工夫された模様です。
現在の500型、710型、800型もよくみると、風が入るよう正面の運転窓が開く
ようになっています。
大変貴重な写真を、しかもカラーで残してくださったことに、心から感謝申し上げる
次第です。
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