箱館ハイカラ號の復元
  トラスト  「函館チンチン電車を走らせよう会」の貢献

1937年(昭和12年)、除雪車の運行の認可により、10型30号29号(九州車)は雪1号に、39号(成田車)は、雪2号にそれぞれ改造されました。

1992年(平成4年)、市制施行70周年の記念事業として、除雪車の雪2号から客車に復元されることが決まりました。札幌交通機械株式会社が復元作業を担当しました。

1993年(平成5年)、路面電車開業80周年、市営交通発足50周年の記念すべき年に「箱館ハイカラ號」として完成し、8月2日より運転を開始しました。

実は、1992年に復元されることが決まるまでに、大きな貢献をされた団体がありました。「函館チンチン電車を走らせよう会」です。

「函館チンチン電車を走らせよう会」は、1988年(昭和63年)7月に発足しました。
この会の発足の中心になったのは、戦時中に市電の運転手や車掌として乗務されていた女性の方々です。

 ・除雪車から客車への復元
 ・西部地区の歴史ある街並みの保存
 ・市電の存続

を目的として発足した会です。ナショナル・トラスト団体としても登録し、
活動を続けられています。

もし、観光等で箱館ハイカラ號に乗車する機会がありましたら、「函館チンチン電車を走らせよう会」の皆さんの、行政への働きかけで実現したことも、思い出していただけると嬉しいです。

(凾館郊外名所)湯の川電車終点(凾館要塞司令部御許可)
白土貞夫様所蔵の絵葉書−許可を得て掲載

「函館要塞」が「津軽要塞」に変わったのは昭和2年ですので、この絵葉書はそれ以前に発行されたものです。写真は、大正末期頃のものと考えられます。成田から函館へやってきた当時の39号、除雪車に改造される以前の姿で、大変貴重な写真です。


復元された39号  函館駅前付近 1999年8月19日撮影

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●箱館ハイカラ號の車体番号

箱館ハイカラ號の車体番号は39です。現在は30型39号となっていますが、元々は10型39号(成田車)です。
10型の36〜40号が成田車で、昭和9年の函館大火でも無事だった唯一の成田車39号が、昭和12年に雪2号として改造されました。

実は、古い文献を調べていて、何故39号なのか疑問に思ったことがあります。

 ・鉄道雑誌「鉄道ピクトリアル」1954年(昭和29年)3月号(通巻No.32)の
  31ページ「函館市電」での、川上幸義氏の記述。
  当時の市図書館の田畑主事、市交通局の松村課長の協力で
  書かれた内容です。
  
  次の除雪車1〜6号の旧番に関する記述。

  何れも旧車両の改造で、旧番は30・40・244・245・242・243であった。
  

 ・鉄道雑誌「鉄道ファン」1963年(昭和38年)1月号(通巻No.19)の
  53ページ「函館市電の除雪電車」での、小熊米雄氏の記述。

  雪2号ブルーム式除雪電車は大正7年5月に、函館水電が成田電気
  軌道から購入して40号となったものを雪1号と同時に改造したもの

  台車はやはりBrill 21E形に似ているが、軸箱の蓋の取付け方法が
  異なっているので、Mountain Gibson 21EM形と考えられる。


川上幸義氏も小熊米雄氏も、雪2号の旧番は40号であることを記述されております。お二人とも故人ですので、ご連絡をとって確認をすることはできません。


また、40号ではなく、違う調査結果もあります。
 ・鉄道雑誌「鉄道ピクトリアル」1977年(昭和52年)5月号(通巻No.333)の
  67ページ「日本の路面電車−震災から戦災まで」(1〜7月号連載)での、
  和久田康雄様の記述。

  帝国電力 1937年4月22日届出 29号、37号を除雪車に改造

和久田様の鉄道省(現在は 国土交通省)の「車両認可件名簿」の調査では、
雪1号は29号であり、雪2号は37号となっていました。
私自身も確認したいと思い、「国土交通省 北海道運輸局」へお尋ねいたしましたが、既に書類が保管期限を過ぎて廃棄済みであり、閲覧できない旨のご回答を頂戴いたしました。(2002年1月19日追記)


これら点に関して、私は個人的には次のように考えています。

 ・函館大火の後も1両だけ残った貴重な成田車なので、
  本当は39号だが、きりのいい番号の40号に改番・整理されて、
  その後に除雪車に改造されたのかもしれない(推測)。

 ・故障修理の為、他車の部品の流用が行われており、その電車が
  製作当時からの純正部品だけで動いているとは考えにくい。
  複数の車両の部品を使って保守整備をしてきた車両に、車体番号を
  厳格に考える事の意義が乏しい。

  例えば、雪2号は、1971年(昭和46年)7月から1972年にかけて、
  老朽部分の解体補修や、廃車の300型の空気ブレーキ制動機を
  流用した改善を施されています。

 ・台車については、もしMountain Gibson 21EMであったとしても、
  歴史的な価値が損なわれることは無い。むしろ、Brill 21Eよりも
  貴重であり価値があると個人的には考えています。

   →現在はBrill 21Eに変更されていることを確認しました。
    昭和38年当時、小熊氏が確認したときはMountain Gibson 21EMでしたが、
    その後、変更された模様です。昭和46年〜47年当時の改善のときに
    変更されたのかもしれません。(2002年1月15日追記)


 ・函館の市電の車体番号は、歴史的に度々整理・改番が行われている
  ので、車輌番号を厳格に考える事自体が意味を成さない。
  厳格に考えたい場合でも、火災で資料焼失の為、厳格な整理・改番の
  記録を追跡調査できない。

 ・37号、39号や40号という個々の車体が復活する事よりも、10型チンチン電
  車が復活したことに意義がある。


1937年(昭和12年)の同じ時期に、30号(九州車)は雪1号に、
39号(成田車)は、雪2号にそれぞれ改造されて、同じような運命を
たどって来た10型車の生き残り2両。
元成田車39号はめでたく1993年に復元され、元九州車30号は1997年(平成9年)の「馬車鉄道開業100周年記念」という記念すべき年に廃車。両方の復元は財源が許さなかったのだと思いますが、歴史ある車両の廃車はとても残念です。

私は、箱館ハイカラ號の車輌番号が39であることに、何ら異議を唱える者ではありません。
ただ、私は運命の不思議さや、30号(雪1号)の不運さを感じるだけです。

(2001年11月3日)

39号車の写真の掲載につきましては、
白土貞夫様のご好意により、所蔵されている絵葉書を使用させていただきました。
許可をくださった、白土様に御礼申し上げます。
ありがとうございます。(2002年1月17日)


●箱館ハイカラ號の車体番号は39号で正しい

その後、国立公文書館で資料を拝見する機会がありました。
その結果、箱館ハイカラ號の車輌番号が39号であることは、
正しいことであることを確認いたしました。
知らなかった事とはいえ、
「39であることに、何ら異議を唱える者ではありません」
などとお書きしたことは、お恥ずかしい限りです。

新川車庫火災に関連して、
大正十五年四月十日付で「車輌使用廃止届」が提出されていますが、
その記録が残されていました。
成田車の36〜40号については、次のように記載されています。

 大正七年五月貳日増加届ノ電車五臺中焼失
  第参拾七號及第四拾號ノ貳臺


37号と40号が焼失し、36,38,39号の3両が残ったことがわかります。

さらに、函館大火に関連して、
昭和九年四月十二日付で「車輌焼失届」が提出されていますが、
そこには、成田車について次のように記載されています。

 四輪電動客車 二輌 大正七年五月二日届出番號 三六、三八號

残っていた36,38,39号の内、36,38号が焼失し、39号だけが残った事が
わかります。
つまり、函館大火後も残り、除雪車改造された雪2号は40号ではなく
39号だったのです。

例え、その後39号を40号に改番したような事が仮にあったとしても、
(このような改番は確認できておりませんが)
元は39号であり、39が最も妥当な車番であるといえます。

同様に、九州車(博多車)も確認することができました。
26〜30号の内、新川車庫火災で26〜28号が焼失し
函館大火で30号が焼失しています。
つまり、函館大火後も残り、除雪車改造された雪1号は30号ではなくて
29号だったのです。


後世の私たちの為に、鉄道雑誌に貴重な文献を残してくださった方々には
感謝いたしますが、私がこのようにミスをするのと同様に、鉄道雑誌の執筆者の方も人であるがゆえに時としてミスをおかします。
公文書や鉄道文書(もんじょ)等の大元の記録を確認する事が、いかに大切か、そして、鉄道雑誌の記事だけを鵜呑みにしてはいけないという事を痛感した次第です。

 (2002年5月28日追記)


■参考文献
 ●「車輌使用廃止届」(大正15年4月10日)
 ●「車輌焼失届」(昭和9年4月12日)

 ●『凾館市電』(川上幸義氏)
   −「鉄道ピクトリアル」誌1954年(昭和29年)3月号(通巻No.32)
 ●『凾館市電の除雪電車 その雪1,2号の来歴について』(小熊米雄氏)
   −「鉄道ファン」誌1963年(昭和38年)1月号(通巻No.19)
 ●『日本の路面電車−震災から戦災まで』(和久田康雄様)
   −「鉄道ピクトリアル」誌1977年(昭和52年)5月号(通巻No.333)

 また、39号が以前に走っていた成宗電気軌道(成田電気軌道)に
 ついては、白土様の次の文献に詳しいことが書かれております。
 箱館ハイカラ號についても書かれており、ご一読をお勧めいたします。

 ●『千葉県下を最初に走った成宗電気軌道の電車』(白土貞夫様)
   −成田市教育委員会「成田市史研究」誌24号(2000年3月)


   申込先 〒287-0017 千葉県成田市赤坂1−1−3
        成田市立図書館
        電話0476−27−4646
   一冊450円、送料は120円です。
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 (2002年1月15日追記/1月17日写真追加)


 

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