絵葉書[4]
大正・昭和初期  市立函館図書館所蔵

【11】(凾館)市街廿間坂附近より西部を望む 
函館要塞司令部許可 函館ゑはがき倶樂部發行
函館図書館所蔵 エ-A-34

前のページの【9】と同様に、丸井今井デパートがあった建物の屋上から撮影したものと考えられます。同じ建物の屋上から、【9】とは反対側の西部地区を撮影したものです。十字街付近から末広町の方向になります。大正時代から、既にりっぱな建物が立ち並んでいた様子がうかがえます。



【12】(凾館名所)蓬莱町通り
函館要塞司令部許可 商標 松吉
函館図書館所蔵 エ-A-7

現在の宝来町は、昭和初期までは蓬莱町という漢字を用いていました。この絵葉書は、「函館要塞司令部許可」のものですから、さらに年代は遡って大正時代のものです。写真には40号車が写っています。36号〜40号は、大正7年(1918年)5月に、千葉県の成田電気軌道から購入したものです。このうち、37号と40号が、大正15年(1925年)1月20日の新川車庫火災で焼失しています。そして、36号と38号は、昭和9年(1934年)3月21日の函館大火で焼失しています。39号は、除雪車から「箱館ハイカラ號」へ復元されて、現在に至ります。ですので、この写真は、大正15年1月20日よりも古いものです。
右側には「松吉蓬莱支店」の看板とお店が見えます。看板から、書籍や文房具を扱っていたお店だったようで、○にMの屋号も見えます。この絵葉書と同じ屋号であることから、この絵葉書を発行し販売していたお店であったと考えられます。自分のお店のすぐそばの風景を、絵葉書にしたもののようです。



【13】商賈銀行会社等櫛比する末廣町(凾館)
津軽要塞司令部許可
函館図書館所蔵 エ-A-22

これは、『北海道に繁栄を誇る「函館のすがた」』という絵葉書セットの中の1枚です。 その絵葉書セットの表面上部には「A.9.1932.」と印刷されており、昭和7年(1932年)8月(August)9日の発売のものと思われます。
ここには、122号車が写っています。122号車は、大正15年(1925年)1月20日の新川車庫火災後に、急遽、東京市電より調達した20両の中の1両です。大正15年に梅鉢鉄工所から購入した新車をお手本として、昭和の初期に、函館水電の自社工場で、100型に車体更新されました。しかしながら、昭和9年(1934年)3月21日の函館大火で焼失しています。
写真の中央に、時計搭のような建物が写っています。これは、大正14年(1924年)に「金森洋物店」を改め、「森屋百貨店」の建物として、渡邊熊四郎によって建てられたものです。函館大火後の昭和11年(1936年)には、棒二荻野呉服店と合併し、棒二森屋百貨店の誕生となり、駅前へ出店したのです。この森屋百貨店の建物は現存しませんが、平成14年(2002年)、同じ場所に「ウイニングホール」が建てられました。このウイニングホールでは、時計搭も復元され、以前の森屋百貨店と同様の外観を備えています。ウイニングホールの中は、ホテル、「北島三郎記念館」、「Art Style of GLAY」といった設備となっています。

絵葉書[4]

(2004年9月27日掲載)




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