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600型 |
601〜605 |
1954年(昭和29年)5月、601〜604号は株式会社新潟鉄工所で、605号だけが汽車製造株式会社東京支店で製作されました。
605号は、テスト運用として100V20Wの室内蛍光灯を24個備え、その為に東芝のCLG-306という電動発電機を搭載していました。
500型とほぼ同じ大きさで、定員80名の大型ボギー車でした。
乗降口も500型同様3ヶ所ですが、1963年(昭和38年)11月より、中央扉を締切とし、前後2ヶ所の使用になりました。ワンマンカー対応が完了するまで、車掌が引き続き乗務し、ドア改造も行いませんでした。
高松吉太郎氏撮影の603号 (1956年8月 十字街にて)
『鉄道ピクトリアルNo.80』より
小熊米雄氏撮影の605号 −『鉄道ピクトリアルNo.43』(1955年2月号)より
605号 1965年(昭和40年)6月1日 函館駅前 撮影:柏木 茂様
603号 1968年(昭和43年)8月30日 五稜郭駅前付近 撮影:福田静二様
●ワンマンカー改造後の600型
602号のイラスト 著作権『プレストーク』様
ワンマンカー対応のため、600型については1969年(昭和44年)春に車体の改造が行われました。3ヶ所の乗降扉(両側で6ヵ所)は、締切だった中央扉を乗車用、前扉を降車用とし、後ろの1ヶ所は使用できないように変更されました。また、700型とは異なり、扉の開閉装置が無かった為、この改造時に取り付けられました。車内放送の設備等も取り付けられました。その他、ワンマンカー対応ではありませんが、同時に運転窓と方向幕が改良されています。
運転窓の上部にある行先方向幕が、大きな表示に変更されました。運転窓の横幅と同じ位の大きさです。行先表示が大きくなって、わかりやすくなりました。また、運転窓に改良が加えられていますが、不思議な形をしています。
元々変則2枚窓でしたが、大きい窓のほうが、さらに2段になっていて全部で3枚になったようです。700型も同様の運転窓に改良されました。これは、特に夏場、車内が暑くなる為、運転席へ風を通す為の工夫だそうです。運転席の側面の窓から風は入りましたが、客室へ風が入っても運転手の場所は涼しくならなかった為、工夫された模様です。現在の500型、710型、800型もよくみると、風が入るよう正面の運転窓が開くようになっています。
台車は住友金属のKS-40Jですが、これは雪国にはあまり適さなかったようです。
ブレーキのタイミングが難しく、運転手から制動能力を嫌われ、710型の導入により次第に予備的な存在となりました。
1973年(昭和48年)10月1日に5両全て廃車となりました。梁川車庫の閉鎖の為、余剰と判断された模様です。1969年の改良の事を考えると短い生涯でした。 |
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