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400型 |
401〜406 |
京王電気軌道の23型は、1920年(大正9年)〜1926年にかけて全部で44輌が製作されました。函館にやってきた車輌は1922年(大正11年)から1925年(大正14年)にかけて、東京の雨宮製作所や日本車両製造株式会社で製作されたものです。
1940年(昭和15年)、京王電気軌道(京王電鉄)より、中古6両木造ボギー車を購入しました。この6台を400型としました。台車に米国ブリル社製76Eを用いた高床車です。
京王電気軌道株式会社の当時の社長は穴水熊雄氏でした。1940年(昭和15年)7月16日、函館の路面電車の経営は、合併によって帝国電力株式会社から大日本電力株式会社へ引き継がれました。実は、帝国電力株式会社の会長も、大日本電力株式会社の社長も穴水熊雄氏でした。そんなわけで、単に軌道幅が同じという理由だけではなく、購入元と購入先の経営者が同じということも、導入につながったのかもしれません。
何れにせよ、函館大火でボギー車を失い、単車だけになってしまった状態が続いたので、全長11.7m、定員70名の木製大型ボギー車は大活躍でした。
主に「1系統」「4系統」の営業路線で働いていました(1系統、4系統の営業路線は現在はありません)。
高松吉太郎氏撮影の京王電鉄23型26号(昭和12年)
『鉄道ピクトリアルNo.422』より
小熊米雄氏撮影の401号−『鉄道ピクトリアルNo.32』より
京王電気軌道の時代は、23型として働いていました。
京王電気軌道時代の車番との関係は、次のとおりです。
401(旧52号,大正13年製,日本車両製造)
402(旧47号,大正12年製,枝光鉄工所)
403(旧59号,大正14年製,雨宮製作所)
404(旧53号,大正13年製,日本車両製造)
405(旧54号,大正11年製,枝光鉄工所)
406(旧45号,大正12年製,枝光鉄工所)
木造であり、もともと中古車であった為、耐用年数が短く
1961年(昭和36年)8月15日に401〜404の4両が、翌年10月15日には残りの2両も廃車となりました。
柏木 茂様撮影 駒場車庫の405号(1964年7月3日)−許可を得て掲載
所蔵・鵜塚誠一様 駒場車庫の405号(1968年6月16日)−許可を得て掲載
所蔵・鵜塚誠一様 駒場車庫の405号(1968年6月16日)−許可を得て掲載
1964年と1968年の写真を見比べていただくと、4年間でずいぶんと痛んでしまったことがわかります。
405号は、廃車後もすぐには解体されず駒場車庫内にて保存されていましたが、木造であることもあり損傷の進みが早く、惜しくも1970年(昭和45年)11月9日に解体されました。この時点で、400型は全て無くなりました。
(2001年10月27日/2002年1月12日・2011年8月22日写真追加掲載)
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405号の写真の掲載につきましては、柏木 茂様のご好意により掲載させていただきました。
400型の生き残りだった最後の1両の大変貴重な写真です。柏木様からは、
他にも多数、貴重な写真の掲載許可を頂戴し、「写真館」内の
『1 柏木様写真館』のコーナーでご紹介しています。
許可をくださった柏木様に御礼申し上げます。
ありがとうございます(2002年1月12日)。
2011年8月22日に追加掲載いたしました1968年6月16日撮影の写真は、
鵜塚 誠一様のご好意により掲載させていただきました。
許可をくださった鵜塚様に御礼申し上げます。ありがとうございます。
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