猛暑の夏が過ぎていく。どうやら、原発に依存しない暮らしのかたちも見えた。本当に豊かな未来のために、脱原発の方向性はこのまま堅持するべきだ。

 九月に入り、朝晩の空気はめっきり涼しくなった。

 首都圏も東北も、そして名古屋も、記録的猛暑といわれた夏を、ほぼ原発に頼らずに乗り切った。

 東京電力と東北電力管内の電力使用制限令は、九日までに前倒しで解除になる。中部電力管内では、自動車業界の土日操業効果もあって、百万キロワット、中型原発一基分の電力が節約された。

◆原発に依存しない夏

 原発なしでは、産業も暮らしも立ちゆかないという、経済産業省と電力業界挙げての強い“警告”も、どうやら杞憂(きゆう)に終わりそうな気配が強い。むしろ生活者の間には「原発なしでもいけそうだ」という自信がわいたのではないか。身の回りの電気のむだを洗い出し、電力に依存し過ぎた暮らしを見直すきっかけがつかめたのではあるまいか。LEDの普及など、省エネ型の社会基盤整備にも弾みがついたのではないか。

 脱原発路線を打ち出した菅直人首相が退陣し、新しい内閣がきょうにも発足する。

 野田佳彦新首相は「原発を新設しない」としながらも、「安全性を確認した原発を活用し、電力の安定供給を確保する」と、再稼働容認の立場を鮮明にしており、民主党代表選に出馬した五人の中で、脱原発からは最も遠いといわれている。脱原発、脱原発依存路線からの後退、あるいは揺り戻しを心配する声も高くなっている。

 菅内閣末期には「原子力ムラ」の巻き返しがささやかれ、定期検査などで停止中の原発を拙速に再稼働させようとする動きが活発になってきた。だが、菅内閣の総評はさておいて、脱原発の方向性は、福島第一原発の惨状を目にした多くの国民に、一定の評価を受けている。国民の意思と願いが込められた脱原発の金看板を、そう簡単に掛け替えるべきではない。

 事故後、間もなく半年になる。経産省原子力安全・保安院は、福島第一原発から飛散した放射性セシウム量が、広島型原爆百六十八個分に上ることを公表した。文部科学省の調査では、土壌汚染の最高濃度は一五〇〇万ベクレル以上に上る。徐々に明らかになる放射能汚染の実態は予想以上に深刻で、広範囲にわたっており、避難の長期化は避けられない。


◆発送電分離は不可避

 風評被害も後を絶たず、桃や稲作農家の悩みは深い。牛たちは野生化し、作付けのできない田畑、ふるさとの風景は荒れていく。

 損害補償の基準だけはようやくできた。賠償総額は数兆円規模に上るというが、廃炉費用を含めればゼロが一つ増えるとの見方もある。いずれにしても、東京電力が独りで担える額ではない。電気料金の値上げも含めて、そのツケは国民すべてにのしかかる。原発は高くつく。安全上も経済的にも、あまりにリスクが高すぎる。

 再稼働できたとしても、原発の新設は将来にわたって不可能だ。放射性廃棄物処分場の立地もままならない。既存の原子炉の寿命が尽きれば、原発はいずれにしても“安楽死”させる以外にない。

 その意味で、脱原発は後退ではなく進化である。

 国内の総発電量に占める原発の割合は三割弱、二、三割の節電が不可能ではないことは、この夏実証された。その上に太陽光や風力などの自然エネルギーや廃熱利用を上積みすれば、私たちは今より豊かになれる。

 自然エネルギーの全量買い取りを電力会社に義務づけた再生エネルギー特別措置法が成立し、大手がしのぎを削る太陽光以外の風力、小型水力発電分野にベンチャー企業の進出が盛んになった。技術革新も進んでいる。

 自然エネルギー市場を安定させるには、真の電力自由化が欠かせない。

 特措法には「円滑な供給の確保に支障が生ずる場合」には、買い取りを拒否できるという抜け穴が開いている。これをふさぐ必要がある。そして大手電力会社の地域独占を廃し、発電事業と送電事業を分離させ、いつ、どこからでも自然エネルギーによる電力が家庭や事業所に送り届けられる環境を整えるべきである。欧米にできて、日本にできないわけがない。


◆国家百年の計として

 電源の地域分散、電気の地産地消が可能になれば、建設にも維持管理にも巨額の費用がかかる原発は自然にいらなくなるはずだ。

 私たちの暮らしを守り、安心を取り戻し、有望な新産業の育成を図るため、新内閣には百年先を見据えた、新たなエネルギー政策を示してほしい。脱原発こそ、国家百年の計である。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011090202000051.html



上記の すばらしい東京新聞の社説と正反対なのが、2011年9月7日の読売新聞の社説です。

【エネルギー政策 展望なき「脱原発」と決別を】というタイトルの社説なのですが、このような最低の社説は見たことがありません。子供や孫達に、どうすることもできない使用済核燃料のゴミを残すことに、なんら恥を感じていないのか。己の私利私欲のためなら、子孫に核のゴミを残すことも平気なのです。収束もできない福島第一原発の事故で、日本中の経済が破壊され続けているのに、誠に愚かしい論調です。読売新聞の中では、福島第一原発の事故は無かったことになっているのでしょうか。

・使用済核燃料再処理費用
・使用済核燃料冷温保管費用
・放射性廃棄物処理費用
・廃炉解体工事費用
・廃炉解体廃棄物処分費用
・原発関連交付金
・原発事故の損害額と損害補償費用
・政府の資金投入・一般会計・エネルギー対策費(97%が原発関連費用)
・政府の資金投入・電源開発促進対策特別会計(7割が原発関連費用)


原子力発電のせいで、どれだけ国民が負担を強いられているか、読売新聞は追求しようともしない。
ジャナーリズムのかけらもないのでしょうか。原発のような、コストの割高な発電は不要なのです。

原発代替の火力で燃料コストが上がるから、電気料金を上げるという話も非常におかしいです。
東京都立川市などは特定規模電気事業者からの電力で経費削減を図っているし、主要官庁もほとんどが特定規模電気事業者から電気を買って電気料金を節約しているのです。原発を推進している経産省は、東京電力の電気を使っていません。特定規模電気事業者は原発など持っていません。原発など無いほうが、電気料金は安いのです。


原発を推進し、国民に高い電気料金を負担させておきながら、自分は特定規模電気事業者の安く、しかも原発を使わないクリーンな電気を利用している経産省。こんな汚い経産省に、クリーンな電気を使う資格はありません。


「感情的な『脱原発』に流されるな」と主張していますが、感情的ではなくて、無責任だと言っているのです。放射能を無毒化する技術もないのに、原子力を発電に使うのはリスクが高すぎると言っているのです。あたりまえのことを言っているだけです。読売新聞は、使用済核燃料の処分を引き受けてくれるのでしょうか。読売新聞は、放射能を無毒化する技術を開発したのでしょうか。

原発が無くても電力は足りていることを報道するのがマスコミの使命なのに、これではまるで、やらせだのウソデタラメばかりの電力会社の広報担当です。ジャーナリズムの役目を果たしていません。


原発なしでも電力足りてる 小出裕章 先生



ジャーナリズムと原子力産業(1987年資料)

日本に原子力発電を持ち込んだのは、正力松太郎(読売新聞の社主)でした。だからといって、福島第一原発事故から何も学ばず、相変わらず原発を推進とは、まったく理解できないことです。
高濃度に汚染され、自宅に帰ることさえできない多くの福島の人達に対して、原発を推進してきた過ちを反省しようとしないのでしょうか。申し訳ないと思わないのでしょうか。

読売新聞は、大変不勉強で、ガスタービンコンバインドサイクル発電のことも知らないのかもしれません。でなければ、原発のような熱効率が30%程度しかない危険なものを推進する理由がわかりません。

スリーマイル原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして福島第一原発の大事故を省みようともしない読売新聞。

日本国民を被曝させるようなエネルギー政策など、断じて許されない。

『原子力の平和利用』という詭弁を主張している点もおかしい。原子力は、発電に使うには、あまりにもリスクが高すぎることが証明されたのです。読売新聞は学習能力が無いのでしょうか。この危険極まりない原子力をいったいどうやって平和利用しようというのでしょうか。原子力自動車や原子力飛行機でも作りたいのでしょうか。

読売新聞が、どうしても核武装をしたいのなら、読売新聞の社内でやってください。原発を核武装の道具に使わないでください。

沖縄県を除き、放射性物質で汚染された牛肉は北海道から九州まで日本全国に流通してしまいました。沖縄県には、汚染された腐葉土も流通してしまいました。全国の日本国民が被曝しているのに、『潜在的な核抑止力として機能している』とか、何をトンチンカンなことを言っているのでしょうか。自国民を被曝させておいて、放射性物質を日本中にばら撒いて、何が核抑止力なのでしょうか。

日本の敗戦が見えていたにもかかわらず、戦時中の新聞は国民にデタラメな報道を続けました。当時の「読売報知新聞」も正しい情報を国民に伝えず、国民を誤誘導したのです。戦争の終結を遅らせて、東京大空襲、沖縄激戦、広島と長崎の原爆投下などを招いたのは、「読売報知新聞」にも責任があるのです。「勝利への大道ひらく本土決戦」などと、デタラメを書いたのは、どこの新聞だったのか。

読売新聞は、当時の「読売報知新聞」に良く似ています。原発を推進することの間違いを国民に伝えず、誤誘導しています。福島第一原発が収束できない状況だけでは、不足なのでしょうか。どこまで、過ちを重ねれば気が済むのでしょうか。どれだけ罪を重ねれば気が済むのでしょうか。


『展望が無い』とは、『1950年代に作られた陳腐化した技術がベースになっていて、熱効率が30%程度しかなく無駄が多く、かつ、リスクが高すぎる原発』を、いまだに推進している読売新聞自身のことでしょうか。

歴史からも経験からも学べない愚者は、国を滅ぼします。


(関連リンク)
Everyone says I love you !
2011年09月07日
読売新聞が社説で堂々と「核武装のための原発推進」論を展開
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/784deb31747bec3695739b47c79e4a06



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